writer : maki

「痛み分かち合って」。倉本聰氏が3.11“100万人のキャンドルナイト”を前に思い語る。

脚本家の倉本聰さんの提案で、3月11日に“100万人のキャンドルナイト”を行う取り組みが進んでいる。その日を目前に、倉本さんがラジオ番組のインタビューで心境を語った。

“100万人のキャンドルナイト”は本来、環境キャンペーンとして夏至と冬至に行っているが、倉本聰さんが東日本大震災の被災地に思いをはせて今年は3月11日の実施を提案したことで、全国に呼びかけられた。

FMラジオ番組『Honda Smile Mission』(TOKYO FM)では、その倉本聰さんにインタビューした内容を3月8日と9日に放送した。

インタビューを前に、番組レポーターのルーシーは3.11に倉本さん自身がキャンドルライトを並べる福島県いわき市の豊間区を訪れた様子を紹介しながら「現状を知らされた」と語った。海岸沿いは、住宅が津波で流された後に残った土台だけが延々と並んだままの状態だったのだ。

彼女からその話を聞いた倉本さんは、そのエリアについて「富良野塾の塾生の実家があり被災して家族が亡くなられた」と話した。そんな縁もあり、この地にキャンドルライトを灯すことを思い立ったという。

当初、倉本さんからキャンドルナイトの計画を聞いた豊間区長は現実感が無かったそうだ。しかし、やがて多くの賛同者が出てきたのである。区長は「今では多くのボランティアが集まり準備も進んでいる」と地域の活性化に希望を見出していた。

昨年の3月11日に震災が起きた当時、倉本さんは北海道富良野にいたが、原発事故を知るとすぐに子ども達を避難させる必要を感じたという。彼は「子ども達を疎開させるよう政府に提案したが動かなかった」と明かすと、自身で動き富良野に被災者を受け入れてきたことを話した。

また、倉本さんは原子力発電所について「現代の日本の文明を支えたものだし、日本人はその恩恵にあずかってきた」と述べると、原発事故後に瓦礫を受け入れない県が多いことに触れ「日本人はみんなでその痛みを分かち合わねばならない」と訴えた。さらに、「日本という国は無いのではと思うほどだ」と失望感を露にしたのである。

倉本さんは政府に対しても苦言を呈する。震災後の対応に限らず、国会で与党と野党が論戦を続けることに対して「『あなたの考えは良い』と相手に歩み寄る場面を知らない。それではいつまでも問題の解決には至らない」と指摘した。「人間は考え方が変わってもいいと思う」と彼は主張する。

3月11日にいわき市を訪れることについて、倉本さんは「お手伝いするために行くのであり、私が何かできるとは思っていない」と語る。彼は「被災地に対して心を痛めるが、何もできないんですよ」と今回のインタビューで苦悩を明かしているのだ。

しかし、倉本聰さんの提案で3.11“100万人のキャンドルナイト”に向けて多くの人々が動いている。ひとりではなくみんなが動く力は大きなものとなるだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)