エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】超大物スターの娘が味わった、二世タレントの転落人生。「自分の実力だと思っていた。」

今も数々の“二世タレント”が活躍している芸能界。下積みを経験せずに表舞台に立てるのは、まさに親の力があってこそである。だがスタートは恵まれた位置だとしても、それからは実力の世界。長く第一線で活躍するには、やはり並々ならぬ努力と周囲に対する感謝の気持ちが無ければ、“あっ”という間に芸能界から消えていってしまう。

1987年6月に62歳で亡くなった鶴田浩二は、高倉健と共に昭和を代表する大スターであった。彼は甘いマスクで若い頃はアイドル的な存在として、中年以降は渋い演技派の俳優として常に第一線で活躍、また歌手としても『傷だらけの人生』で大ヒットを飛ばしている。

その鶴田浩二の実娘として女優デビューを果たしたのが、鶴田さやか(51)である。お嬢様学校で学生生活を送っていた彼女は17歳で女優デビュー、父親譲りの品のある端整な顔立ちで話題になった。

彼女のもとには何の苦労もせず人気のテレビドラマ、映画にと次々に出演依頼が舞い込んできたのだ。その当時の心境を鶴田さやかは『爆報!THE フライデー』(TBS系)内で次のように語った。

「本当なら演技の勉強を重ね苦労しながら一歩一歩、下から階段を上って行かなければならないのに、私は“ここから上りなさい”と言われ高い位置からのスタートに疑問も持たず、用意された場所を受け入れた。」大スターの娘として注目され、女優としての仕事にも恵まれる。それらは全部「自分の実力」だと、さやかは思うようになっていたのだ。

だが、さやかが26歳の時、父親が亡くなると状況は一変した。「とりまきだった人たちが突然いなくなった。」鶴田浩二が健在の頃はチヤホヤしてくれた仕事関係者が、手のひらを返したように彼女から離れていったのである。「色々、変わり果てましたね。」と苦笑いしながら、彼女は話す。

「自分は何者でも無い。」ということに、そこで初めて彼女は思い知ったという。そしてこれからは“鶴田浩二の娘”ではなく、“鶴田さやか”として生きようと決心したそうだ。

今彼女は、小さい頃からの憧れだったジャズシンガーの道を歩んでいる。もう若くはないが上品な美しさは昔のまま、何よりも表情が生き生きとしている。歌い手として地道に勉強を重ね経験を積み、51歳にして遂にジャズシンガーとしてCDデビューを果たしたのだ。

さやかは偉大な父親の庇護や応援は無くても、生前に彼がかけてくれた叱咤激励の言葉を支えに自分の人生を切り開いてきた。二世タレントとして味わった転落人生は、ジャズシンガーとして決して無駄では無かったのだろう。
(TechinsightJapan編集部 みやび)