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writer : maki

【エンタがビタミン♪】「毎月履歴書50通出していた」。つるの剛士の知られざるウルトラマン俳優までの道。

タレント、歌手として活躍するつるの剛士(35)が初めてテレビ番組に出演したのは19歳の時だった。その出演時間はわずか3秒だったという。だが、つるのはその後不思議な縁で芸能界に入ることとなる。

つるの剛士が広くその名を知られたのは、やはりドラマ「ウルトラマンダイナ」で主演した時だろう。その人気もやがて低迷するが彼は「クイズ!ヘキサゴンII」でおバカタレントとしてブレイクしたのである。
それ以前につるのが芸能界に入るまでに苦労したことはあまり知られていない。3月10日に放送されたTOKIOの人気番組「5LDK」では彼がデビューするまでのエピソードが紹介された。

幼い頃より芸能界を夢見ていたつるの剛士は、高校生の頃にはエキストラなど芸能関連の募集にせっせと履歴書を送っていた。その数は月におよそ50通にのぼった。
努力の甲斐があって彼はエキストラとしてドラマ「青春の影」(1994年)に出演したのだ。しかし喜んだのも束の間、それは同ドラマ第三回目の放送に『3秒間』だけの出演だった。
だが、このエキストラ出演がつるのにあるきっかけを与えた。俳優の河相我聞もこのドラマ「青春の影」に出演していたのだ。彼はこの頃「もうガモンできない!!」のキャッチフレーズで人気があり歌手としてCDも出している。
まだドラマ出演する前に河相我聞をテレビで見ていたつるのは、音楽好きな彼に対して親近感を覚えていた。「将来、絶対コイツと会う」と思っていた矢先に短時間ながらドラマで共演したのである。
『こんなチャンスは無い。なんとか自分の存在を覚えてもらおう』と考えたつるのは、ドラムスティックをズボンのポケットに差して、さらに目立つためにカラーコンタクトをつけて撮影現場に行った。この頃まだカラーコンタクトは一般的でなく価格も1枚9万円したという。

ドラマでつるのが出演したのは学校の授業のシーンで、彼は河相の後ろの席に座った。撮影の休憩時間になるとつるのはドラムスティックで机を叩き出したのだ。
それに気づいた河相我聞は振り返ると「君ドラムやってんの?」と関心を示した。つるのは『来た! 釣りと一緒であせってはいけないから』と平然と河相に対したと当時を思い出す。
河相はそんなつるのの目を見て「君! 目が青いよね?」とカラーコンタクトにも興味津々だった。気があった彼らはその後、スタジオに行ってセッションしたのである。こうして初めて出会った2人はまだ19歳だった。

以降、つるのが河相の部屋に居候するなど2人の付き合いは続く。そしてある日、河相がFM番組「G1グルーパー」につるのを連れて行ったのがきっかけで「つるちゃんの幸せデリバリー」というコーナーを受け持つのである。ラジオ番組のスタッフから紹介されて、つるのは現在の所属事務所太田プロダクションへ入ることになるのだ。
それからおよそ2年後につるのは「ウルトラマンダイナ」の主人公アスカ・シン役のオーディションに合格した。

「僕が毎月50通も出してきたオーディションの履歴書はみんなダメだったのに、これがキッカケで芸能界に入れた」とつるの剛士は出会いの大切さを語った。河相我聞とは今も交友が続き食事なども一緒にするそうだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)