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2月27日の「新堂本兄弟」に北島三郎が登場した。「NHKのど自慢」に出場し、鐘が二つ鳴ったことをきっかけに北海道から上京。やがて“流し”になったサブちゃん。だが番組で語った当時の生活は、若き北島にとって満足のいくものではなかったようだ。
3曲100円。それが“流し”時代の北島三郎の歌の値段だった。
上京し音楽学校に入ったものの、学校はクラシックが専門だったため、授業料を滞納したまま辞めてしまった北島は、その後6年間“流し”の歌手として活動した。
演奏の代金は3曲で100円。レパートリーは1000曲以上。求められれば軍歌や民謡、童謡やジャズも歌った。代金は客でなく店からの支払いになることが多いため、ホステスや店員から気に入られないといけないとコツを語る。もともと歌手志望で楽器を弾くことができなかった北島は“流し”の相方に、3日間の特訓をうけてギターを弾くようになった。間違えると割り箸で叩かれる、というスパルタ特訓だったという。
6年という期間で、北島には「流しをするために上京したんじゃない」という焦りにかられた時期もあったそうだ。
また、トレードマークのパンチパーマの秘密も明らかに。なぜ北島がパンチパーマになったのか? パンチパーマにしようと思ったのか? それは意外にも時代劇に出演するときに、カツラがズレないようにするため、という単純な理由からだった。
今では演歌界の大御所として多くの弟子を抱える北島三郎だが、3曲100円の流しが彼の原点だったとは。苦労に苦労を重ねて今の北島三郎が存在するということを知るひとつのエピソードであった。
(TechinsightJapan編集部 KAZUKI)