エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】高橋ジョージの芸名誕生秘話。西遊記のバイトもした無名時代が彼をBIGにした。

ロックバンド「THE 虎舞竜」のボーカルでタレントとしても活躍する高橋ジョージ(52)は、楽曲「ロード」の大ヒットにより成功を手にした。そんな彼もデビューするまでには苦労の連続があったようだ。彼はテレビ番組で『ジョージ』の名の由来やアルバイトで大変な目にあったことを語った。

「ロード」は1993年に発売され、第一章が220万枚という驚異的な売り上げとなった。実は第十三章まである「ロード」はその後も人気が続き、トータルで300万枚以上もの売り上げを記録したのだ。
高橋ジョージによると彼は当時で約16億円を手にしており、現在でも印税で年間1,200万円ほどの収入があるという。
そんなサクセスストーリーを実現させた高橋ジョージが2月8日のテレビ「ライオンのごきげんよう」に出演して、デビュー前の意外な苦労を明かしたのである。

彼は宮城県の出身で仙台育英学園高校に通っていた。その頃からバンドを組んでおり、仲間達と『成功するには東京に出るしかない』と思いついたままに上京した。
まだ1970年代のことで降りた駅も上野駅だった。彼らは六本木の有名な喫茶アマンドの前をウロウロしていると「お前ら何してる?」と男性が声をかけてきた。
彼らが事情を話すと「補導されるぞ! うちに来い」とその男性は彼らを事務所へ連れて行ったのだ。
彼は芸能プロダクションの人物でメロンをごちそうしてくれるなど親切に扱ってくれ、高橋たちも自己紹介をしたのだが訛りがキツくてうまく伝わらなかったのだ。
高橋の本名は恭司なのだがリーダー格の友人が「こいつは“キョウズッ”」と紹介した時に、その男性が「“ジョージ”って言うのか! いいね!」と聞き間違えたのである。
東京の芸能プロダクションのしかもメロンをくれた人物がそう言ったのだ。高校1年生にとっては感動的な出来事であり、高橋は「今日から俺は『ジョージ』だ」と心に決めたのだった。
その男性は本当に良い人で、しばらくすると「お前らとにかく高校を出てから来い」と彼らを宮城に帰らせたのである。

一旦は地元に戻ったものの、高校1年生を3度経験した高橋はやはりプロのミュージシャンとなる為にギターを1本抱えて再び上京したのだった。
それから彼は東京でアルバイトをしながらデビューのチャンスを待つことになる。

高橋がやった様々なアルバイトのひとつにテレビがらみの仕事があった。それが堺正章主演の人気ドラマ「西遊記」のエキストラだったのだ。
エキストラとはいえ、彼がやったのは孫悟空が毛を抜いて作る『分身』の役で孫悟空と同じ格好をするものだった。
ある日、ロケの途中で食事休憩となり彼はトイレに行った。ところがトイレから撮影現場に戻ると人っ子一人居なかったのである。
「完全に撤収してた」と高橋はその時を思い出し「如意棒を持った格好ですよ」と語気を強めた。

彼が孫悟空の格好で如意棒を持ち、ロケ地の御殿場から大通りまで数キロ歩き、苦心の末ヒッチハイクして砧の撮影場まで帰り着いた時は夜の10時を過ぎていた。
するとようやく戻った彼はいきなり助監督から「お前! どこに行ってた!」とブン殴られたのだ。それは高橋を心配してでは無く「(お前が着ているから)衣装が足らないんだよ!」というのが理由だった。
高橋はその時怒りに震え「いつか絶対、主役やってやる」と誓ったのである。

それから10数年が経ち「ロード」のヒットをキッカケに高橋ジョージはドラマや映画で主演することになるのだ。
彼は今、そのアルバイト時代を振り返り「ああいうことがあったから、人間って頑張れるんだ」と語る。

「ロード」だけの一発屋でしかも大成功を収めたラッキーボーイ的な印象のある高橋ジョージだが、意外にも下積みで苦労した時代があったのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)