エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】「ゲイの応援歌なんか、絶対に歌わせない!」猛反対を押し切った、西城秀樹

今では考えられないが、’70~’80年代は歌手本人の希望よりもレコード会社や所属事務所によって、売り出すイメージや曲目を決められるケースが多かった。中にはジャズ風な歌が歌いたかったのに、演歌に転向させられた者もいたという。そんな制約の多い時代にトップアイドルだった西城秀樹が、どうしても歌いたい曲を周囲から大反対されていた。

1972年にデビューした西城秀樹は“ワイルドで、セクシー”というイメージで、楽曲や振り付け、衣装も作り上げられた。それは同じ頃に活躍していた“歌の上手い”野口五郎、“可愛らしい”郷ひろみとの差別化を図るため、レコード会社が考え出した路線だった。彼ら三人は「新御三家」と呼ばれ、一世を風靡する。

「絶叫型」と呼ばれた感情を込めた激しい歌い方が定番だった西城に、転機が訪れる。レコーディングに訪れたアメリカで偶然カーラジオから流れた曲に、西城は心を奪われた。それはディスコ音楽で世界的ヒットを飛ばしていたヴィレッジ・ピープルの、「Y.M.C.A.」である。彼は歌詞ではなく、元気が出る明るい曲調に惹かれたのだ。
日本に帰り、試しにコンサートなどで「Y.M.C.A.」を原曲の英語で歌うと、観客の反応も良かった。なんといってもファンと一体感が味わえることができた。西城は「この曲をカバーして、シングルを出したい。」と、レコード会社に直訴する。

ところが「アイドルが、こんな歌を歌えるわけ無いだろう!」と、担当者は全く取り合ってくれない。なぜなら、ヴィレッジ・ピープルはゲイを象徴するバンドとして有名で、「Y.M.C.A.」はゲイの応援歌として認識されていた。
ゲイに対する偏見が今よりも大きく、時代を代表するアイドルが初めてカバーする曲にはできない―と猛反対されたのだ。
だが初めて「自分で歌いたい」と思い、主張した曲である。西城は絶対に諦めなかった。英語が堪能だったマネージャーに“若者に向けた応援歌”として、日本語の詞をつけてもらった。何度もレコード会社に足を運び、ようやく西城の念願が叶い『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』として発売され、彼自身の最大のヒット曲となる。

2月15日の『解禁!マル秘ストーリー~知られざる真実~』(TBS系)では、西城秀樹がうれしそうに語る。「自分が選んだ『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』が今も歌い継がれ、いつまでも古臭くならない。この曲を選んで、本当に良かった。」
この番組の司会・堺正章が、「歌いたくない曲を歌うのって、楽しくないんだよね…。」とボソッと言葉にしたのが、歌い手の真実だろう。
(TechinsightJapan編集部 みやび)