天下りの本来的な意味を定義すると、「下の者(組織)の意向を考えない押しつけ人事」であると言える。つまり、有能な人材を請うて三顧の礼でお迎えするような人事は天下りと呼ばれない。上の組織で使えない人材を、下の組織の枢要な役職として押しつけられるから「天下り」なのである。その意味での天下りは役所間の出向人事でも存在する。
公には存在しないものの、各官庁には歴然とした格付けがある。
財務省、外務省などの一流官庁、それ以外の二流官庁、三流官庁があって、一流官庁の課長と三流官庁の課長は、同じ課長という役職だが、ランク付けでは二段階、三段階もの差がある。
ここで、一流官庁のエリートコースを歩む者は、年次が来れば同省内での課長に昇進する。
しかし、エリートコースから外れた官僚は、いつまでも昇進させないわけにはいかないので、名目だけは同じで格式ははるかに下がる三流官庁の課長として出向人事が行われる。
三流官庁としては、一流官庁のためにポストを提供することで、いわゆる「顔つなぎ」をするわけである。
ただし、ポストを提供した三流官庁としては、その分自省内プロパーのポストが減るわけであるから、今度はさらに格下の地方自治体などのポストを出向先として確保する。
こういう押しつけ人事の連鎖は、結果的に地方の中央頼み、三流官庁の一流官庁頼みという悪弊の連鎖として顕在化する。
こうした出向人事は今問題となっている「天下り」には分類されないことが多いが、むしろ「天下り」の原点は、こうした出向人事にあると言ってもよいだろう。
有能な人材が組織のチーフとして迎えられ歪んだ組織風土を一新する天下りは歓迎すべきことだが、お役所の出向人事という天下りは、何も変革をもたらさず、組織の疲弊と硬直化をもたらすのみなのである。
(TechinsightJapan編集部 石桁寛二)