意外と知られていないことだが、日本国憲法に基づき「戦争を放棄」することと、世界中のあらゆる「戦争に反対」することは、本来、別の話である。現実に起きている他国の紛争に対しては、どうやって収拾させるかを話しあうべきで、そこに日本国憲法を持ち出しても、議論にならない。翻って、公務員の「天下り撲滅」を叫ぶことと、「天下りを是正」することとは別の話である。天下り撲滅も戦争反対も、定義を明確にして、「何を是正すべきか」を考えないと、何も変わらないという話を紹介したい。
そもそも天下りとはなんであろうか。
民間企業の管理職が、関連子会社の重役に就任することと、公務員が関連法人の役員に就任することとどう違うのか。
財務省入省の若手キャリア官僚が、任用後数年で地方の税務署長として赴任し、受け入れ先の税務署のベテランノンキャリアが面倒を見るという構図は天下りではないのか。
総務省勤務の官僚が、地方自治体の部長クラスとして出向することは天下りではないのか。
考えれば考えるほど、 定義が広く曖昧としていて、とらえどころがないのが天下りという用語である。
これらを整理して、どこを是正すれば良いのかを見極めないと、天下りに「反対」すらできないのである。
そして、実は「天下り」という用語は、通俗語であってお役所の正式な用語ではない。
お役所での呼ばれ方は、「再就職」「勇退」「出向」などである。
天下りというのは、「必要もない人間を重役として押し付けられた立場の弱い会社」が嘆息まじりに言う言葉が一般化したものである。
とはいっても、全く無用な人材であっては困るので、隠語で「弁当」などと呼ばれるウマミのある仕事を回してもらえるから、天下りを受け入れているのである。
こうした状況をいっさい白紙にするということは、少なくとも政治家やマスメディアが「天下り撲滅」などと口にするほど簡単な話ではない。
日本国の仕組みそのものを根底から変える大事業なのである。
それはあたかも日本国憲法第9条を世界に喧伝するべく、世界中のあらゆる紛争を止めるのと同じくらい大変なことである。
本連載では、これから天下りのさまざまなパターンを「天下り列伝」として、順次紹介していくこととしたい。
(TechinsightJapan編集部 石桁寛二)