あの国民的アナウンサー徳光和夫から「コイツは、“徳光家の最終兵器”。」と評される、女装家・ミッツ・マングローブ。“最終兵器”という名に相応しく、大型で威圧感のある人物である。徳光和夫の甥つまり男性であるが、女装が好きで同性愛者だが心は男だという。中身まで女になりたいわけでは無い、ミッツ・マングローブの今までの波乱の人生を、9月3日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)で語った。
ミッツが5歳の頃、幼稚園で友達の男の子からプロレス技をかけられていた。遊びとはいえ痛かったのだが、何故か気持ちよく感じたのだという。今から思えば、これが“同性愛の目覚め”だったと語る。
小学生になると中森明菜に夢中になる。それは普通の男の子ファンと違い、中森明菜のマネをするというモノだった。こっそりとミッツは母のスカートを身につけ化粧をして、踊りながら歌っていた。女装の原点となった中森明菜のパフォーマンスは、今でもショーの中で披露するほどのお気に入りである。
ミッツは女装を好み、それが仕事になって収入を得ることになった。おまけに身長が182cmと高い上に顔が大きいので、舞台で踊り歌うと異様な迫力がある。そのニューハーフクラブのステージが話題となり、ミッツ・マングローブの名が知れ渡るようになったのだ。
友人のマツコ・デラックスが、「学歴だけは負ける」と言うほど高学歴で裕福な家庭に育ったミッツ・マングローブ。マツコ同様なかなか自分の両親には、自分が“同性愛者”だということを告白できずにいた。
しかし母親は、なんとなく気づいていたのかもしれない。
ミッツが24歳の時、ある外国人の男性を「友人だ。」と紹介し自宅に連れてきた。当時、付き合っていた男性だった。しかし2階にいるふたりの様子が変だと思った母親が、大型の飼い犬を連れて(1人では、恐かったのだろう)、ミッツの部屋をのぞきに行ったのだ。ドアを開けたとき、母親にとって最悪な光景が目に入ってきた。それは息子と外国人の男性との、あられもない姿だった。
母親は「どうなっちゃってんの!」と一言発して、ドアを閉めたのだった。
予感はしていたかもしれないが、それが的中となるとミッツの母親は辛かっただろう。しかし時が経って両親から言われたことは、「親としての役目は果たした。後は自分で生計を立てて、生きて行きなさい。」ミッツの生き方を認め、彼を送り出した言葉だった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)