エンタがビタミン

writer : techinsight

【エンタがビタミン♪】仕事も結婚も、すべての原動力は「船」にあった。加山雄三、その航海のような人生。

趣味というものはあくまでも生活や仕事が成立した上での遊びであるというのが、一般的なイメージではないだろうか。だが、趣味のために仕事や結婚などという人生の一大事を決めた人もいるのだ。それは元祖セレブ俳優、加山雄三である。彼と船の関わりはとても深いものだった。

8月16日放送の「人生が変わる1分間の深イイ話」に出演した加山雄三。船好きで知られている彼が、自らの船にまつわる話を披露した。
加山が船に興味を持つようになったのは、10歳の頃だった。当時茅ヶ崎に住んでいた彼は、海辺で船を眺めて憧れの思いを強くしていた。また、家庭教師が商船学校の学生だったこともその思いに拍車をかけたようである。毎日のように先生の家を訪ねては、船の設計図を眺めていたと言う。中2のときに自分で船の設計をするようになり、大学卒業までにカヌーやモーターボートなど8隻の船を造った。

そんな彼が芸能界に入ることになったのも、船がきっかけだった。
加山は大学卒業を控えて商社への就職を考えていたのだが、反対する友人がいた。その友人は、加山はサラリーマンには向いていないと言い、一旗あげて船のオーナーになれるような人生を勧めた。そこで一攫千金が狙えそうな芸能界入りを志し、一躍スターへの道を邁進するようになったのだ。

華々しく芸能界で活躍する加山は、1964年、巨匠・黒澤明の「赤ひげ」の出演が決まった。ところが年に4回しかない船舶免許の試験日と撮影日が重なってしまった。彼がオーナーである光進丸(初代)の完成を1か月後に控えていたため、どうしても免許が必要だった。だが、厳しいことで有名な黒澤監督が許可してくれるだろうか。そこで加山は、主役の赤ひげを演じる三船敏郎も誘うという根回しをして、監督を説得した。主役と準主役がいなければ撮影にはならない。やむなく監督は休みを許可し、加山も三船も試験に合格したそうである。

それだけではない。結婚もまた、船がきっかけになったのだ。海が大荒れの日に船酔いもせず平然と編み物を続けていたのが、妻となった女性、松本めぐみだった。彼女の度胸に惚れこんで、距離を縮めたという。

船を持つために芸能界に入り、映画の撮影も休み、船に強い妻を伴侶に選んだ加山雄三。これはもはや趣味の域ではないだろう。彼の人生そのものが船によって動かされてきたのだ。まさに「人生とは航海」という言葉を地で行っているのである。
(TechinsightJapan編集部 大藪春美)