日本国憲法では信教の自由が保障されている。これは特定の宗教を信じることも信じないことも自由であるということである。
一方で、同じ日本国憲法では政教分離が定められている。行政機関は特定の宗教団体と関係を持つことはできない。これら憲法の規定が妙なシナジーを描いて、末端のお役所でしばしば珍妙なことが起きる。
まず、公共工事着工や庁舎建て替えの際には、地鎮祭を執り行うのだが、神主を呼ぶことについても、国民の目は厳しい。
政教分離の原則に反しているというわけだ。
また、地元の祭りに対して寄付金を出すこともできない。とはいっても無視するわけにはいかないから、管理職のカンパなどで賄われるのが通例だ。
さらに、お役人個人の信仰は自由であるから、宗教上の理由で神社の鳥居をくぐることを禁じられている人や、偶像崇拝を禁じられている人は、こうした儀式への参加を拒否することも起きがちだ。
お役所においては、「宗教行事と慣行の違い」について、事細かなマニュアルを作っていることも多い。そうしないと、対住民や役所内部において無用なトラブルが起きがちなのだ。
しかし別の意味で、お役所内部には信教の自由や思想信条の自由がまったく保証されていない団体があって、ほぼ全職員が強制入信させられる。それは官公労である。
新規採用職員は、職場配属時に強制的に別室に隔離されて加入を強制される。以降は組合費という名の安くないお布施を徴収され、動員という名の布教活動にかり出される。
日の丸君が代に敬意を表したい人間がいても、これは思想信条の自由に反するとして、敬意を表するという思想自体を組合が弾圧する。労組幹部に自家撞着という言葉はない。
こうした活動を指揮していた某省庁のヤミ専従者が大量に発覚し、厳正な処分を科せられる見込みであるので、こうした表に出ない「宗教活動」もこれから鋭く糾弾されるであろう。
(TechinsightJapan編集部 石桁寛二)