女優の中村メイコがテレビ番組で、生前の美空ひばりと2人でよくゲイバーに行ったエピソードを語った。やがて美空ひばりは病で入院することとなるが、中村メイコは見舞った時に聞かされた美空ひばりの言葉を今も忘れないという。
1937年に生まれた美空ひばりは子ども時代から歌手や女優として活躍し、まさに国民的大スターとなった。3歳年上の中村メイコもまた、子役から芸能界に入ると女優や歌手に声優までこなすマルチタレントとして活躍していた。そんな2人は仕事以外でも交友が深かったのだ。
美空ひばりが亡くなってから23年が経つ。今年の3月14日に放送されたテレビ『ライオンのごきげんよう』にその中村メイコが出演して、2人で飲み歩いた日々を明かした。
ゲイバーでよく飲んだという中村メイコは、「ああいうところの方が遊ばせてくれるので気が楽」とその理由を説明する。大スターの2人だけにプライベートでは、気を遣わずに楽しめるところを求めたのだろう。
その頃には中村メイコも結婚して子どもがおり、お弁当が必要な年頃となっていた。彼女は朝になると「あっ、私そろそろ帰らなきゃ」と先に店を出て自宅に戻り、そのまま子どもの弁当を作ったのである。
中村メイコは「ゲイバーから台所へつながっていた感じ」と当時を振り返る。娘の神津カンナが学校から帰ると、「お母さん、今日は二日酔いだったでしょ?」と追及することがあった。「お弁当がいつもよりあっさりしていた。私は二日酔いじゃないからコッテリでいいのよ」と遠回しに飲み過ぎを注意されるのだ。
以前から腰痛を訴えていた美空ひばりは1987年に公演していた福岡で体調不良を訴えて入院すると、重度の慢性肝炎と両側大腿骨骨頭壊死と診断された。だが彼女は3か月半療養に専念し、同年に復帰を果たしたのだ。活動を再開すると東京ドーム公演や、シングル『川の流れのように』をヒットさせる。しかし体調が悪化し、1989年3月に再入院すると6月24日に52歳の若さで亡くなった。7月に行われた葬儀では中村メイコも弔辞を読み上げている。
中村メイコが病床の美空ひばりを見舞った時に、「ごめんね。お酒が私にはなんともないのに、あなたの体には悪いほうに出ちゃって」と2人で飲んだ日々を振り返った。すると美空ひばりは「それは違う! 私はメイコの倍飲んでいた」と主張したのだ。
「なにも、こんな時に酒の量を張り合わなくても良いだろうに」と中村メイコは思ったが、美空ひばりの真意はそこにあるわけではなかった。彼女は「メイコには止めてくれる人がいるでしょ。神津(善行)さんやカンナちゃんたちが。飲み過ぎちゃダメだと止めてくれるでしょう」と話し出した。「私はママが亡くなってから(身内で)一番偉くなったから、周りに『お酒』といえばどんどん持って来てくれる人ばかり。メイコが帰ってからひとりでまた飲んでいたの」と明かすと、「止めてくれる人がいるっていうことは幸せなのよ」と言い聞かせたという。
日本を代表するスターだった美空ひばりも、心の中ではそんな寂しさを紛らわす為にひとりで酒を飲んでいたのだ。中村メイコは「今でも、あの言葉を思い出すと涙が出てくる…」と目頭を押さえながら2人の思い出を語ってくれたのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)