エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】モデル高垣麗子が中学時代に初めて撮られたカメラマン植田正治氏との不思議な縁。

ファッション誌「AneCan」などで活躍するモデルの高垣麗子が、街で偶然に見かけた写真に目を奪われたことをブログで報告している。それは彼女が中学生時代にモデルの世界に入り、初めて写真を撮ってくれたカメラマン植田正治氏の作品だったのだ。その写真を見た彼女は懐かしそうに当事の様子を思い出していた。

高垣麗子は1995年に当事10代の少女を中心に人気のあったファッション雑誌「プチセブン」(現在は休刊)の専属モデルとしてデビューして以降数々のファッション誌で活躍している。彼女が8月24日にブログ『高垣麗子のHappy Diary』でその頃の思い出を語っている。それによると夕食からの帰り道で目に飛び込んできた一枚の写真がきっかけだったというのだ。

彼女が中学生の頃というから「プチセブン」のモデルになる前のことだろうか。本来内気な性格である彼女がモデルのオーディションを受けた時には「緊張し過ぎて泣きそうになって頭が真っ白になって上手く自分を表現することができなかった」という。

それでも彼女にはモデルの資質があったのだろう。早速カメラの広告の仕事が決まって初めてモデルとして写真を撮られることになったのである。彼女が嬉しさと不安な気持ちで現場に入るとカメラマンがスタンバイしていた。

高垣麗子は「気がついたら何も言わずにシャッターをカシャカシャときっていたんです」とその時のカメラマンの姿を振り返る。撮影後にそのカメラマンと「お昼ごはんにざる蕎麦を食べた」ことや「カメラマンさんが着ていたTシャツのイラスト」まで憶えているというほど彼女にとっては印象に残る出来事だった。

それから18年近くが経ち、ファッションモデルとして活躍するようになった高垣麗子が街で見た写真『妻のいる砂丘風景』こそ、そのカメラマン植田正治氏の作品だったのだ。

植田正治氏は残念ながら2000年に亡くなったが「植田調」と呼ばれる作風は本場フランスでも有名な世界的写真家だ。1995年に植田正治写真美術館も開館されており、写真を通じて親交のあった福山雅治やデザイナーらが2005年に同美術館で『HOMAGE ─オマージュ・植田正治に捧ぐ─』を開催して話題となった。

18年前に高垣麗子が初めて写真を撮ってもらった時には、そのカメラマンがそこまで有名なカメラマンとは実感がなかっただろう。彼女は今、その作品に偶然出会った心境を「胸が熱くなりました。心の中で(ありがとうございました)と伝えました」と明かしている。植田氏との縁が時を経て彼女を写真に巡り合せたのかもしれない。出会いとは不思議なものである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)