エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】アンジェラ・アキ、「お母さんは見せ物じゃない」“地獄”の少女時代と名曲誕生秘話。

今月アルバム「LIFE」を発売したばかりの、アンジェラ・アキ。彼女は性格が明るく、ツアーでのトークもユーモアに溢れ、とても楽しい。9月15日の『ズームイン!!SUPER』(日本テレビ系)では小学生の頃の悩みや、ヒット曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」誕生秘話を語ってくれた。

アンジェラ・アキは日本人の父と、イタリア系アメリカ人の母との間に生まれたハーフである。徳島県板野郡というのどかな田舎町で生まれたのだが、周りには日本語が喋られない外国人だと思われていた。近所にガムひとつ買いに行ってもレジのおばさんから、「お嬢ちゃん日本語上手いなぁ。どこで覚えたの?」と聞かれ、その度に「生まれたのは日本で、父親が日本人で…」といちいち説明していた。だが頻繁に同じような質問ばかり買い物の度に聞かれるので、説明するのが面倒くさくなり「おばちゃんも(日本語が)上手いですね。ハイ、いくら?」と答えるようになっていた。

小学生になると授業参観や運動会などの学校行事に、母親が来るのが嫌だったという。「学校中が大変なことになって、校門から入ってきた私の母親を児童全員が見に行く状態。」外国人が珍しかったのか、子ども達は悪気は無かったのかもしれない。だがアンジェラは自分の親が見せ物になっているみたいで、地獄のようだったと語る。

その母親からアンジェラが30歳の誕生日に、手紙が送られてきた。それは彼女がアメリカに留学していた10代の頃、「私が30歳になったら渡して欲しい」と母親に頼んだ“10代の自分から、30歳の自分”に宛てた手紙だった。彼女自身は、その手紙を書いたことさえ忘れていた。読んでみると、便箋7、8枚に愚痴がビッシリ書かれていたという。だがそれを読んだとき今の自分と昔の自分が繋がり、あの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が生まれたのだ。

彼女は10代からシンガーソングライターを目指しながらも、様々な苦労や挫折を乗り越えて20代後半でCDデビューを果たす。日本でデビューが決まっても、「ハーフは売れない。」とか「年齢が行き過ぎ。」と言われ悔しい思いをしたらしい。
そんな彼女の人生のモットーは、「心の背伸びは、しない。」
心が疲れているときは何もせず、そのままにしておく。必ず、輝ける時が訪れるから。長く悩み苦しんだ時期を過ごしたアンジェラだからこそ、言える言葉である。
(TechinsightJapan編集部 みやび)