おニャン子クラブ時代、「新田はライバル。絶対に負けたくないから、仲良くなんかしたくない。」と敵意むき出しだった国生さゆり。一方の新田恵利は、「なんで、そんなに熱くなってるの? ウザイなぁ。」と冷ややかな(?)目で国生を見ていた。年月を経て和解したと言われる2人だが当時、何があったのか。8月10日放送の「カスペ!『芸能界の告白』」(フジテレビ系)で国生、新田がそれぞれの思いを激白した。
そもそも国生と新田のおニャン子クラブに加入した動機はまったく違う。
“割の良いバイト感覚”で選んだ新田と、地方から上京したものの芸能界入りを反対され、親からの仕送りが全く無かった国生。
国生は生活費を稼ぐため、おニャン子クラブの仕事を頑張るしかなかった。そんな国生を尻目に、埼玉からテレビ局に通っていた新田は学校との両立がキツイと、平日(月から金)の夕方生放送の『夕やけニャンニャン』の出演を月、水、金だけにしてもらったのだ。
なぜ新田にそんな特別待遇が許されたのか? それは、彼女の元に届くファンレターの数が他のメンバーとは桁違いなほど多く、おニャン子クラブの中で絶大なる人気を誇っていたから。だからこそ、デビューシングル「セーラー服を脱がさないで」では、最前列で歌うメインボーカル4人の中に新田は選ばれたのだ。一方の国生は、後列のコーラス担当(しかも、マイクのスイッチはOFF状態)にまわされた。
新田のソロデビュー曲は『冬のオペラグラス』だが、実はこれより前にソロデビューの話が出ていたのを新田は一度、断ったのだという。他のメンバーからの彼女に対する風当たりが強く、怖かったからだと語る。特に国生からの、「あんたなんか、大っ嫌い!」のオーラが凄まじかったと新田は当時を振り返った。
団体行動が苦手で他人に関心がない新田と、慕ってくる後輩の面倒をよくみて、熱い体育会系の国生。普通に考えても“水と油”、仲良くしなさいという方が無理だったのかもしれない。しかし当時の新田は、国生の悪口は決して言わなかったという。国生が何か言ってきても、「あぁ、その通り。」と思って受け流していたらしい。その点は、新田は大人だったと感じる。
ここまでの事実を知り、同じ“秋元康ブランド”AKB48が「女の戦い」を前面に売りだしている現状になぜか納得した記者であった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)