writer : techinsight

【名画クロニクル】「私は貝になりたい」3バージョンを見較べる。

1959年にフランキー堺の主演で大ヒットした映画「私は貝になりたい」は、戦争という時代の波に翻弄されたB/C級戦犯の悲劇を痛切に描いた作品であるが、映画演出的には喜劇役者が主人公を演ずることで、無実の罪で死刑にされる主人公、清水豊松に代表される多くのB/C級の無念と憾みを際立たせる作品である。
この映画は、テレビドラマも含めて、これまで3つのバージョンがある。1959年のフランキー堺バージョン、1994年の所ジョージバージョン、そして2008年の中居正広バージョンである。(本当のオリジナルは1958年のテレビドラマである)

1959年バージョンのほうは、まだ戦争経験世代が現役だった時代の映画だけあって、細かい事実描写よりも、豊松の無念と憾みと家族への思いを描き、見る者の胸を打つ名作だ。

続いて、1994年バージョンのほうは、主人公役に所ジョージを抜擢。全体的に喜劇役者を多く配役しているが、基本的な構成はオリジナルをほぼ忠実に再現する仕上がりになっている。

判決で死刑を言い渡されたときの、「どうして俺が!どうして俺が!」という豊松の台詞を、所ジョージは渾身の演技でオリジナルに肉薄する表現を見せている。

あえて難点を挙げるならば、賛美歌を歌いながら刑場へ引かれていく同房の死刑囚、大西役の柳葉敏郎の演技が、ややヤケクソ気味であったことくらいであろうか。

そして、最新バージョンの2008年中居正広バージョンは、制作費11億円をかけて作られ、豊松の妻役に仲間由紀恵、息子役として、神がかった名演技を見せる子役の加藤翼など、名優を多数配役。

さらに、同房の死刑囚、大西役にSMAPの草なぎ剛など、実力派を揃えた。

仲間由紀恵は、昭和女を演じさせても映える俳優であることを堂々と示したし、先に刑場へ引かれていく大西役の草なぎ剛も、「いやな時代に生まれていやなことをしたものです・・・」という短いながら重要な台詞で、不条理な運命を受け入れて覚悟を決めた迫真の演技を見せている。

しかし、肝心の主人公、中居正広の演技力が低すぎて、全体的に締まりのない仕上がりになってしまったというのが実情である。

周囲を名優で固めただけに、中居正広だけが浮いてしまった格好だ。

「私は貝になりたい」の真意が綴られる遺書の朗読とともに、刑場へ引かれていく豊松の姿を、フランキー堺も所ジョージも立派に演じきったが、中居正広はそれだけの演技力がないので、ずるずると引きずられるように刑場に向かう。

それでも泣けないので、ついに目隠しをされて、死刑執行で首つりになるシーンまでやるという、一種の禁じ手を使ってしまったという有様だ。

2008年バージョンは、気の毒だが、空振りに終わった作品であると言えよう。1959年版はすでにDVD化されているが、1994年版はDVD化されていない。

速やかにDVD化して、この名作のリメイクの歴史をたどれるようにしてほしいものである。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)