終わらない漫画の実写化ブームの中、ついにこの時がやってきた。「あしたのジョー」、1970年以来の二度目の映画化。主演が山下智久ということで早くも話題となっているが、多くの人は原作漫画を読んではいないのではないか。かく言う私もその一人であったため、これを機会に読んでみた。
大都会・東京の片隅にひっそりと存在するドヤ街。流れ着いたばかりの少年「矢吹丈」(ジョー)と、元ボクサー「丹下段平」が出会った。ジョーの腕っ節にほれ込んだ段平はボクシングの薫陶を授けようとするが、ジョーはその厚意を無視してチンピラまがいのことを繰り返した末、鑑別所へ送られてしまう。
鉄格子の中、退屈を持て余すジョーのもとに段平から葉書が届く。“あしたのために(その1)”、ジャブのこつをわかりやすく解説したものだ。ジョーはそれを実践し、自分のものにしていく。裁判後に移送された特等少年院では、運命の出会いが待っていた。
脱走をもくろむジョーの前に立ちはだかったのは「力石徹」。収容される前はプロボクサーであった彼と拳を交えることで、ジョーはボクシングの真髄に触れる。幾度かの対決の後、ジョーはプロボクサーになることを決心した。
出所したジョーは懐かしのドヤ街へ。通称・泪橋のたもとにある、段平がジョーのために起こしたボクシングジム「丹下拳闘クラブ」に身を置くこととなった。トラブルを乗り越えて鮮烈なデビューを果たし、瞬く間に8回戦へ。着々と自分のもとに向かってくるジョーと戦うべく、力石は減量に励む。
そしてついにジョーと力石がプロのリングで相対することになるのだが、勝負の行方は多くの人がが知っていることと思う。『ひょっとするとふたりとも負けるんじゃないか…』新聞記者の台詞が悪夢となって実現した。衝撃的な結末を迎え、第一部の幕が下りる。
ここまででコミックス9巻途中、全体の半分にも満たないボリュームである。この作品の代名詞とも言える力石戦がこのタイミングで出てくることに、正直拍子抜けした。だが続きを読むことで、わかってくることがある。この力石戦までは長い長いプロローグ、いわば“きのう”なのだ。
第一部では力石と戦うことを、第二部ではその先にある“あした”をめざしてもがき続けるジョー。スランプに陥り、ドサ回りに身をやつし、それでもボクシングを捨てることはできない。表舞台に復帰した後もどこか危うい影が見え隠れし、読者はさながら「白木葉子」のごとくジョーに振り回される。
この作品の魅力は、鑑別所時代からのジョーの友人「マンモス西」の言葉を借りれば『ジョーの数かぎりないダウンに 何度ダウンされても立ちあがったあの血みどろのすがたに 男と男の戦いに』『みんなみんな胸を打たれて』しまうところにある。ボクシングの場面が額面以上の意味を持っているのだ。
この作品におけるボクシングは、ジョーの人生そのものである。そこには小難しいルールも、戦法の科学的根拠も、理路整然とした予定調和も必要ない。倒れた数だけ起き上がるジョーの姿があればそれだけで十分なのだ。
あしたのジョーは、現在主流となっているスポーツものとは明らかに一線を画している。想像以上に泥臭く、血生臭い、ボクシング以外に生きる術を知らない男の物語だ。ただひたすらに胸が熱くなる、男の漫画である。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)