writer : techinsight

【名盤クロニクル】松平敬「MONO=POLI」(ひとりの声のための交響曲)

(画像提供:Amazon.co.jp)

クラシック音楽の世界では、CDは生演奏の忠実な記録であるという思い込みがあるが、実はそれは誤解である。電気的処理のないCDなどというのはあり得ない。
たとえば、合唱曲を演奏するにしても、合唱団員一人一人の声質も声量も違っているわけで、指導に当たる指揮者はこれを調整することに大きな労力を費やす。しかし、たった一人の声楽家がオーバーダビングで声楽アンサンブルを歌って、その多重録音の音源をワークステーションで処理したらどうであろうか。おそらく世界でどこにも存在しない圧倒的な透明度を誇る声楽アンサンブルが出来上がるはずだ。そして、その音響こそ作曲家の頭の中で鳴っていた音なのである。これを実践したのがコンテンポラリーフィールドで活躍中の気鋭の声楽家、松平敬である。

このアルバムには、13世紀から21世紀までのさまざまな声楽アンサンブル作品が収録されている。松平氏の声域はバリトンであるが、ファルセットを駆使して、女声パートも含めて全て一人で歌っているのである。

いわゆる古典曲の透明なアンサンブルを楽しむのも良いが、このアルバムを入手したら真っ先に次の現代作品2曲を聴いてほしい。

ひとつは、「2001年宇宙の旅」の月面着陸シーンで使われたことで有名なリゲティの「リュックス・エテルナ」である。この曲はアカペラコーラスのために書かれており、一聴すると「音の帯」のように聞こえる音響に、細かくうごめく多くの音粒が層をなしているのである。

普通の合唱団の演奏で聴くと、「変わった合唱曲」に聞こえるこの曲が、多重録音とミキシング処理により、まるで詳細に設計された電子音響のように響くのである。部屋を暗くして聴いていると、空中浮遊を起こすような錯覚に陥る。このトリップ感こそが、この曲の醍醐味である。次々と色合いを変えていく「音の帯」を堪能してほしい。

次に演奏者である松平敬氏自身の作曲による表題曲「MONO=POLI」である。ここでは声というより、人間が発音できるあらゆる音、息を吸う音、吐く音、つぶやき、口笛などが渾然一体となって不思議な空間を現出させている。

曲順にも趣向が凝らされており、中世から近代、現代、現在(今)まで時代が下ってきて、最新作の「MONO=POLI」を頂点として、また、近代、中世へと戻っていく。

一般的なアーティストのアルバムだと現代ものだけを歌ったり、ロマン派歌曲だけを歌ったりという場合が多いのだが、このアルバムは音楽の歴史そのものをアーチ構造に並べることで、全体を通して一つの作品として聴ける構成になっている。

クラシックCDの世界に一石を投ずる非常に意欲的な作品である。

(収録曲)
1. [1]作者不詳(イギリス):夏のカノン(1260頃)
2. [2]作者不詳:アレ〈歌え〉ルヤ(13世紀)
3. [3]作者不詳(イギリス):ねんころりん、私は可愛らしい、上品な姿をみた(14-15世紀)
4. [4]作者不詳:ローマは喜び歓喜の声をあげよ(12-13世紀)
5. [5]ダンスタブル(ca.1390-1453):聖なるマリア
6. [6]-[8]ジェズアルド(ca.1560-1613):マドリガル曲集第6巻より(1611出版)/麗しき人よ、あなたが去ってしまうのなら/ああ、なんとむなしく、私はため息をつくのか/私は、ただ呼吸する
7. [9]J・S・バッハ(1685-1750):8声のカノン BWV 1072(1754出版)
8. [10]モーツァルト(1756-1791):心より愛します KV 348(382g)(1782)
9. [11]グリーグ(1843-1907):めでたし、海の星(1893)
10. [12]ストラヴィンスキー(1882-1971):アヴェ・マリア(1934/49)
11. [13]シェーンベルク(1874-1951):《3つの風刺》 より 分かれ道にて Op. 28-1(1925)
12. [14]ケージ(1912-1992):《居間の音楽》より 昔話(1940)
13. [15]リゲティ(1923-2006):ルクス・エテルナ(1966)
14. [16]松平 敬(1971- ):モノ=ポリ(2009)
15. [17]-[18]ブライアーズ(1943- ):マドリガル集第2巻より(2002)/私は、この地上に天使のような姿を見た/おお、あてどない歩みよ、おお、うつろいやすく、しかし確固とした思いよ
16. [19]ベリオ(1925-2003):もし私が魚なら(2002)
17. [20]ケージ:声のためのソロ2[4ヴァージョンの同時演奏](1960)
18. [21]シェーンベルク:千年を三度 Op. 50A(1949)
19. [22]-[24]ドビュッシー(1862-1918):シャルル・ドルレアンの3つの歌(1898/1908)/I. 神よ!なんたる眼の保養/II. 太鼓の音が鳴りひびき/III. 冬よ、御身が憎らしい
20. [25]ブラームス(1833-1897):おお、なんとなだらかに(1970頃)
21. [26]パーセル(1659-1695):主よ、わが祈りをききたまえ(1680頃)
22. [27]パレストリーナ(ca.1525-1594):主よ、今こそあなたは
23. [28]ジョスカン・デ・プレ(ca.1440-1521):ミサ《ダ・パーチェム》より アニュス・デイ
24. [29]作者不詳(スペイン):3人のムーア娘(15-16世紀)
25. [30]作者不詳(スペイン):手に手をとって(15-16世紀)
26. [31]マショー(ca.1300-1377):我が終わりは我が始まり
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)