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意外と知らない“現代葬式事情”誰しも通る道。「葬儀」のあり方を見つめ直す

厚生労働省の統計によると、日本においては自然死・事故死を含めて年間90万人の死者が出ていて、団塊の世代が寿命に達する2030年頃には190万人に達すると言われている。
葬儀関係の市場規模は、葬式と墓石霊園を併せて約3兆円と言われており、今後も拡大していく見込みだ。
古来より冠婚葬祭の出費は蕩尽による厄除けの意味合いがあり、日常の経済観念とは別の観念が働くため、葬儀費用について細かいことは言わずに、故人の最後の晴れ舞台を飾ることが、遺族にとっても故人の供養のためにも良いこととされている。しかし、実際に身内の不幸が起きると、単にそれだけでは割り切れないさまざまの問題が存在する。

身内の不幸というものは、一種の緊急事態であるから、遺族は葬儀についていろいろプランを練ったり予算を組んだりしている精神的余裕がない。
現代では、ほとんどの人は病院で亡くなるので、ご遺体が病院の霊安室に運ばれると、ただちに葬儀の準備を進めねばならない。

病院から「葬儀をどうするか」について意向を確認されることになるが、この時点で多くの遺族が「葬儀社を紹介してください」と病院に依頼することになる。ここで病院に出入りしている葬儀社が自動的に選ばれることになる。

そして、葬儀社にバトンタッチされたならば、葬儀費用の見積もりが出される。葬儀社の見積もりは基本費用だけで、祭壇や棺桶のグレードについては遺族の意向で大きく変わる。しかし、ここでも悲しみに沈んでいる遺族に熟考している余裕はない。
おそるおそる「皆さんどうなさっていますか」と葬儀社の営業に相談することになる。葬儀社ではほどほどのグレードの提案をするが、遺族のほうでも家の格式や親族への配慮、世間体などを考えれば値切ることもはばかれるので、おおむね葬儀社の概算見積が通る。

そして、最大の経費は仏式で葬儀を出す場合のお布施である。タテマエとしてお布施に料金表も内訳もないが、通常は読経代と戒名(法名)代である。戒名代は院号のあるなしで大きく異なり、寺によっても大きく異なる。独自に寺と交渉すれば安上がりというわけでもないので、葬儀社と相談してほどほどのお布施で折り合いの付くお寺さんを呼んでもらうことになる。

こうして、現在、首都圏で葬儀を出すと、平均費用256万円という額になっているようだ。
香典でまかなえればよいが、それほどの弔問客を見込めない場合には、かなりの持ち出しになることは避けられない。

葬儀社が葬儀一切を仕切ること自体は何も問題はない。むしろ、遺族の長兄が無理して采配を振るって、次兄や年長親族と無用な諍いを起こすよりは、葬儀社にお任せしたほうが、楽でもあり、トラブルの防止にもなる。
問題は、業者選定や経費について熟慮する時間がないことである。高額になるか、安い経費で済むかは、葬儀社次第と言ってもよい。

世事一般の理として、物事の費用は安いに越したことはないのだが、先に紹介したとおり、葬儀は蕩尽による厄除けの意味合いがある。こうした事情を考慮して最適な葬儀プランを提案できる葬儀社を選びたいところである。

一例として、首都圏での葬儀サービスを展開しているアイワセレモニーの葬儀プランを紹介したい。地域の葬祭補助金を充当した場合、祭壇や棺、寝台車から役所手続きまで一切込み料金として、9万円からの格安料金プランが用意されている。だから予算額を告げるだけで、最適な葬儀プランを選択できる。
お布施についても、戒名ごとに明確な金額が定められている。
また、遺族や弔問客の負担を減らす一日葬や、香典泥棒などの現金トラブルを防止するための後払いクレジットなど、様々な提案を行っている。

葬儀に関する考え方は仏教諸派やキリスト教、神道などによって異なるが、一例として浄土真宗本願寺派の見解によれば、「葬儀は、故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別の式ではなく、遺族・知友があいつどい、故人を追憶しながら、人生無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事である。」とされている。

また親せきづきあいという意味でも、身内だけの家族葬は久々に顔を合わせる親せきがお互いの近況を報告し合いながら、故人を追悼しつつ親睦を深める良い機会である。

近年は、僧侶も呼ばず、無宗教での「お別れの会」を開催したり、参列者全員で「千の風になって」を歌って見送ったりといった、形式にとらわれない葬儀も増えているとのことだ。
各自の死生観を含めて、現代にふさわしい葬儀のあり方について、今一度考えてみることが必要なのではないだろうか。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)