イタすぎるセレブ達

writer : tinsight-ikumi

【イタすぎるセレブ達・番外編】「ベイ・シティ・ローラーズ」レスリー・マッコーエンが自宅で急死、65歳

15歳で学校をやめた後、最初のバンド「Threshold」に参加。18歳だった1973年に「ベイ・シティ・ローラーズ」にボーカルとして加入した。

スコットランドの伝統であるタータンチェックの衣装を着た「ベイ・シティ・ローラーズ」は行く先々で絶叫するファンに囲まれ、最大のポップ・バンドのひとつになった。アメリカや日本など世界中で人気を博し、何度も来日公演を行っている。

1975年には楽曲『バイ・バイ・ベイビー』『恋をちょっぴり(原題:Give a Little Love)』が全英シングルチャート1位を獲得、アルバム『エジンバラの騎士(原題:Rollin’)』(1974年)『噂のベイ・シティ・ローラーズ(原題:Once Upon A Star)』もチャートのトップに輝いた。

レスリーは1978年にグループを脱退。その後「ベイ・シティ・ローラーズ」はニューウェーブ路線に切り替え、「ザ・ローラーズ」にグループ名を変更した。ここ数年はカムバックツアーやライブ録音に何度か参加していた。

レスリーの突然の訃報に、SNSにはグループの全盛期からのファンによる悲しみのコメントで溢れ返った。

「ベイ・シティ・ローラーズを聴いて育ったのよ。とても悲しい。」
「英国での全てのコンサートに行ったわ。彼の声は、ファンの心の中に永遠に生き続けるでしょう。」
「10代の頃の私のハートは、あなたのものよ。安らかに眠ってください。」

「ベイ・シティ・ローラーズ」の公式Facebookは現地時間22日、「レスリーの訃報を受け、心を痛めています。妻のペコさんと息子ジュウベイさん、ご家族と友人に心よりお悔やみ申し上げます」と追悼メッセージを投稿した。

画像2、3枚目は『Les McKeown 2021年4月22日付Twitter』『Bay City Rollers 2021年4月22日付Facebook「We are saddened by the news of Leslie McKeown’s death.」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)

ベイ・シティ・ローラーズ公式Facebookでレスリーを追悼(画像は『Bay City Rollers 2021年4月22日付Facebook「We are saddened by the news of Leslie McKeown’s death.」』のスクリーンショット)

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