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writer : maki

【エンタがビタミン♪】中川翔子“誕生ヒストリー”父・中川勝彦さんの二十七回忌に母が回想「子供を作ろうと言われ…」

フォロワーから「旦那さまは、桂子さまを、もちろん思っていました。でも、プラス未来を読んでいたのでしょうか? こんな、くらい世の中に翔子ちゃんが、きちんと明るく活躍してくれている。勝彦さまに感謝となんだか、愛が、深くて羨まし過ぎです」という声が寄せられた。

他にも「亡くなった時はびっくりして悲しくて。ずっと後に翔子さんが娘さんだと知った時にうれしくて。桂子さんがいてくれたことがうれしくて…」、「しょこたん、いくつになっても可愛くて素直で大好きです ご両親の沢山の愛情を受けてこられたからでしょうね」などの反響があった。

幼い中川翔子の家族写真(画像は『中川桂子 2020年9月18日付Twitter「二十七回忌だったせいか昨日は色々なことを思い出しました。」』のスクリーンショット)

ちなみに一部で中川勝彦さんは当時、一般女性(桂子さん)とのできちゃった婚を事務所の意向もあり人気への影響を考えて公にしなかったという説もある。だが桂子さんは昨年6月6日にTwitterで「結婚することを決めてはじめてタモリさんに勝彦さんを紹介した」とエピソードを明かしており、2人の幸せな様子がうかがわれた。桂子さんはタモリと以前から顔見知りなのだ。

桂子さんはかつて友達と都内・青山にコーラルクラブをオープンした時期があり、漫画家・赤塚不二夫さんをはじめタモリや所ジョージ(同クラブを営む桂子さんの友達と結婚)、景山民夫さんなどが常連客で、同店がタモリ倶楽部のモデルになったほどだ。桂子さんは勝彦さんともその店で出会い、中川翔子が生まれるまで店を続けたという。

画像2~4枚目は『中川桂子 2020年9月17日付Twitter「連日の夜散歩」「亡くなる日の朝」、2020年9月18日付Twitter「二十七回忌だったせいか昨日は色々なことを思い出しました。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

亡くなる前の中川勝彦さん(画像は『中川桂子 2020年9月17日付Twitter「亡くなる日の朝」』のスクリーンショット)

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