エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】パパイヤ鈴木、本名で呼び捨てにされた過去とユーミンへの恩義明かす 『春よ、来い』に出会わなければ「今の僕はなかった」

バンドメンバーやコーラス、ダンサーが定位置に着くところからショーは始まっていた。

360度客席に囲まれたセンターステージは舞台袖がないのに、いったいユーミンはどうやって現れるのか? パパイヤ鈴木はその瞬間を「一曲目が始まると、一番盛り上がるところでユーミンが登場します。ここが、僕の一番好きなところ。とにかくカッコいい!」と描写する。

「2時間30分を超えるコンサートは、エンタメに溢れた素晴らしいものでした。最後の曲は『春よ、来い』泣きましたね」「歌手になりたかったひろし少年は、いつしか仕事に追われ自分の夢を見失っていました。なかば夢を諦めかけていた時に、このツアーに出会いました」「『春よ、来い』を聴きながらもう一度自分の夢を追いかけよう! と、心に決めました」と回想するパパイヤ鈴木。

当時はまだ本名の鈴木寛(すずき ひろし)としてスタッフを務めており、舞台裏では先輩スタッフから「おい、ひろし」と呼び捨てにされていたという。

それから4年を経て1999年6月に『やきとりサンバ』でCDデビューすることになるのだ。パパイヤ鈴木は「あの日、あのコンサートに参加していなければ、『春よ、来い』を聴いていなければ、今の僕は無かったと思います」と懐かしんでいた。

パパイヤ鈴木として活動を始めてからは、ユーミンのコンサートにゲストとして呼ばれており「一緒にデュエットもしたんですよ。こんなに嬉しい事はありません。夢って叶うんですね!」と感慨深げである。

松任谷由実のコンサートパンフレットのなかでは「かつて『おい、ひろし!』と呼び捨てにされていたスタッフから、今度は『パパイヤさん』と呼ばれるのは気分がよい」と裏話を明かしていた。

そんなパパイヤ鈴木の大ヒット作と言えば、やはりAKB48の32枚目シングル『恋するフォーチュンクッキー』(2013年8月)で振付を担当したいわゆる“恋チュンダンス”だろう。日本のみならず海外でも大人気となり、ダンスを踊る動画が次々とSNSに投稿されて社会現象を巻き起こした。

もしユーミンのコンサートツアーで「ダンスコーディネイター」を務める巡り合わせがなく、圧巻のステージで『春よ、来い』に感動しなかったら、「ひろし少年」が夢を諦めたままに終わり“恋チュンダンス”も誕生しなかったのだ。

画像は『Papaya Suzuki 2019年11月29日付Instagram「大名でロケっす!」、2019年8月2日付Instagram「今日は元総監督と食べまくって来ました」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

藤本一精、高橋みなみ、パパイヤ鈴木(画像は『Papaya Suzuki 2019年8月2日付Instagram「今日は元総監督と食べまくって来ました」』のスクリーンショット)

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