学生たちの意見にひたすら耳を傾け、頷きながら受けとめていたマッゴール准教授。パブリック・スピーキング学を教える彼女は、服装もプレゼンテーション評価の重要ポイントとなることを普段から指導してきたものの、「学生たちに何を着るべきだ、何を着るのがふさわしいなどと強制的なことを話したことはありません」と大学新聞の編集部に対して説明。動きがラクな服装、シューズを自由に選んでよいと言われている学生たちだが、「それでもプレゼンテーションの時くらいは人前で話すという状況にふさわしい外見を考える。このこともプロフェッショナリズムの1つです」としている。
この件の後、チャイさんはFacebookのページに思いの丈を綴った。それに対して同じ教室にいた学生たちからはチャイさんの気持ちに寄り添い闘う気持ちへの支持を示すも、「プレゼンテーションを素晴らしいものにするためにも、やはりそれなりの身なりが大事という気もします」といったメッセージが届き、チャイさんはついにページを削除してしまった。なかなか自分の思いを理解し、同調してくれる仲間が現れないことから悔しさの限界に達したのであろう。
チャイさんは「『あなたのお母さんは娘の選ぶ服についてどのように考えているのでしょうね』と嫌味を言ってきた先生に、さらに腹が立ちました。『私の母はフェミニスト、ジェンダー、セクシュアリティが専門の大学教授です。娘がショートパンツを穿こうが構わないと言ってくれます』と答えてやったけれど」と話している。こうして5日、彼女はリベンジの気持ちを膨らませてプレゼンテーションに再挑戦した。Facebookライブ配信用のカメラは、トラブルが起きたあの時と同じ服装で入室する彼女をしっかりと捉えていた。
「パパ、ママ、ハロー。時差のせいでかなり遅い時間でしょうに、ずっと待っていてくれてありがとう。水曜日、私は他人にとって心地よく感じられる外見に関する疑問を投げかけられたの。私のような人がほかにもいないか、いたら私たちで連帯を組まないかとSNSで呼びかけたわ。こんなナンセンスな話、あとどれくらい我慢しなきゃならないのかしら。こんな苛立ちをぶつけた私に大量のメッセージが届いたわ」とカメラに向かって話すチャイさん。怒りをあらわに、涙すら浮かべながら「私は女性であることを超え、Letitia Chaiという個人を超え、服を脱ぐことでひとりの人間として新たなステップを踏み出すわ。皆もどう? 服を着ない素の人格を互いに認め合いましょうよ」と訴え、教室内の約半分がそれに従ったところでチャイさんは淡々とプレゼンテーションを開始した。
「ここアメリカでは表現の自由、個性の尊重が優先される。外見より内面で勝負すべき」と主張したいのであろうチャイさん。だが成人した以上、然るべき時や場所では服装や髪型を考えられる人間を目指したいもの。大事なのは、ストリップという極端な抗議方法を思いついたところで肝心のプレゼンテーションがより輝いたわけではないということ。ある者は下着姿の彼女に破廉恥で安っぽいと感じたかもしれないし、ある者は心の中で嘲笑し、またある者は彼女の衝動的で激しい性格に引いてしまったかもしれないのだ。とはいえ彼女はまだ20代、こんな出来事も青春の1ページとしてまだ笑って許される年齢である。
画像は『The Sacramento Bee 2018年5月10日付「Cornell professor questioned a student’s shorts. So she gave her thesis in underwear」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 Joy横手)