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writer : maki

【エンタがビタミン♪】松坂大輔投手、西武時代“巨人打線からめった打ち”の真相告白 東尾元監督「なんやそれ!」

3月5日に放送された福岡エリアのスポーツ情報番組『夢空間スポーツ』(FBS福岡放送)で「松坂大輔×東尾修 師弟対談!!」が実現した。今シーズンはキャンプ入りしてから「一番良かった頃の形に近いと感じながら投げている。今まで感じたストレスは格段に減りましたね」という松坂投手の状態を東尾さんも「腕の振りが深くなったよね」と分析する。さらに松坂投手は「これまでは肩の違和感が邪魔をしていたので、それがなければ以前に近い状態で投げられる。なってきてると思います」と手応えを感じているようだ。

そんな彼が2月25日に行われた巨人2軍との練習試合で実戦登板したところ、1回は三振で抑える好投を見せながら2回では制球が定まらず3つのフォアボールを与えてしまう。試合後のインタビューで「やればやるほど悩みますね」と話した彼は「試したいことがあり2回の投球内容は変えていた」という。

1999年3月、西武に入団して18歳のルーキーだった松坂投手は巨人とのオープン戦でめった打ちされた。彼が当時を「京都・西京極で…ぼこぼこに打たれて」と振り返れば監督だった東尾さんも「あれは参ったな」と鮮明に覚えている。すると松坂投手が「でも…あの試合も、僕は投げながら全力じゃなかった」と本音を明かすので、東尾さんが思わず「なんやそれ! 高校生のくせに!」と身をのりだした。

松坂投手は「このくらいのボールじゃプロは簡単なんだな…こう投げたらこう打たれるだろうな…ってホント予想通りになった」と話すように、試しながら投げてめった打ちにされたのである。その理由を「僕がプロのレベルを体感したかった」いう彼に東尾元監督は「したかった? こっちはヒヤヒヤもんだよ!」と呆れていた。

そのぼこぼこに打たれたオープン戦の後、シーズン入りして1999年4月7日の東京ドーム「西武×日本ハム」戦でプロ初登板した松坂投手は155km/hを出す好投で初勝利を飾る。片岡篤史選手の豪快な空振りは今も語り草だ。東尾さんはその時のことを「片岡に対する一球、よくお前が言う“確信に変わった”というやつ」「あの一球で私も“自信から確信に変わりました”よ」と思い出すのだった。

松坂投手は今シーズンのキャンプでもその頃と同じく練習試合で「試したいこと」があったのだ。彼は「いずれ剛速球を投げられない時は来る」と5、6年前から準備を進めていた。絶頂期には考えたこともない「バッターとの駆け引き」もこれからは重要になるという。

さらに彼が「投げ続けることに関しても、数値ですね…まず200勝…」と口にすると「お願いしますよ!」と東尾さんが返す。東尾さんも通算251勝した大投手であり、その記念ボールを持つのは松坂投手なのだ。「200勝は当然してくれるつもりで渡した。“松坂が200勝したらボールくれよ”と(西武に入団して)1年目から約束は取り付けてあるんです。それがなかなか遅いというか…」と東尾さんが訴えるようにいうと、松坂投手も苦笑していた。

現在松坂投手はプロ通算164勝(NPB 108 MLB 56)である。「(東尾)理子さんの部屋にあったやつを断りもせずに持ってきたというので、理子さんにお返しする形ですね」という約束を果たすまであと36勝だ。

以前は「きれいに終わりたい」と思っていた松坂投手だが、今は「投げられる場所があるならずっと投げ続けたい」という。東尾さんが「お、昔の大輔からは信じられない」「泥にまみれて投げ続けるか、じゃあ…はいつくばってでも…」と言葉をかけると「結局、僕はそういう道を選ぶんじゃないかなって…今のところは思う」と答えた。

対談の最後に東尾元監督から「春(開幕)に待ってるよ」と励まされ、松坂大輔投手は「なるべく早く…春はすぐそこです」と固く握手を交わすのだった。

出典:https://twitter.com/HAWKS_official
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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