エンタがビタミン

writer : sekihara

【エンタがビタミン♪】<高見沢俊彦インタビュー>2018年、今年の一文字は「激」! 現役で居続ける“パワーの源”は?

来年デビュー45周年を迎えるTHE ALFEE(桜井賢・坂崎幸之助・高見沢俊彦)。彼らが長年携わってきた「大阪国際女子マラソン」へのイメージソングの提供が今年で最後となり、歴代のイメージソングをすべて集めたアルバム『Last Run!』が12月19日にリリースされた。実に31年分、全31曲を収録した3枚組のコンプリートアルバムである。これらの楽曲を作ってきた高見沢俊彦(64)にテックインサイトがインタビューした。また今年を振り返ってもらうとともに、2作目となる小説の話も聞いた。

■ニューアルバムのようなコンプリートアルバム
―「大阪国際女子マラソン」の31年分のイメージソングがすべてアルバムにまとまりました。どのように感じていますか。(※32年間のうち、1995年は阪神・淡路大震災のため大会が中止)
高見沢俊彦:普通なら曲順は(古い順に初年度の)『夢よ急げ』で始まりますが、新しいもの順になっています。自分でこうやって聞きたかった、それが一番の理由ですけど、逆に良かったと思いますね。ディスク3まであるんですけど、ちょうど一枚一枚独立してアルバムとして成立しているなぁと感じました。1曲目が、ディスク1が『勇気凛々』で、ディスク2がバラード調で『Wonderful Days』でしょ。ディスク3がほとんどみんな忘れているメンバー全員覚えていない『Beyond The Wind』で、新鮮に聴けましたね。(ディスク1では)ここ数年『創造への楔』『風の翼』『One Step ~再始動』と作り込んだ曲が多かったので、6曲目に『もう一度ここから始めよう』が入ると、本当に「アルバムだなぁ」という感じでニューアルバムでもおかしくないですね。

■中継を観て何かが弾けた
―イメージソングは毎年書き下ろしが多かったようですが、初年度の『夢よ急げ』は違いますよね。もともとどのようないきさつだったのでしょうか。
高見沢:この曲を使いたいという要請があったんですよね。(歌詞の冒頭の)「シナリオのないドラマ」というのがマラソンに通じるということで。もちろんOKしたんですけど、マラソンと自分たちの曲というのが(マッチするのか)、正直ピンと来ていなかったんです。でもその年の(マラソン中継の)番組を観て雪の中でイメージソングがかかってランナーが一生懸命走っているシーンがものすごく良かったんですよね。マラソンの中で音楽を使うというのは初めての試みだったらしいんですが、自分の中で何か弾けた感じがして、翌年からはそのためにオリジナルを作ろうと心がけてきました。

■マラソンは人生にもリンクする
―曲のラインナップを見ていかがですか。
高見沢:最初はランナーのために書き下ろしていましたが、(実は)自分たちにもリンクするし、一般の方の生き方にもリンクするんじゃないかなと。マラソンを観ているとドラマチックな展開があって、本当に「シナリオのないドラマ」なんですよね。それって普通の方の人生にも通ずるものがあるかなと。アップダウンがあったりゴールを迎えたり…。

THE ALFEE 高見沢俊彦

■敗者の背中を押せる曲を
―これらの曲に共通のテーマはありますか?
高見沢:共通のテーマは特別ないですけど、僕の中でのテーマは作っていました。もちろん皆さんを勝者にしたいと思いますけど、勝者は1人しかいないから残るのは圧倒的な数の敗者ですよね。その敗者のために、また次に走り続けるために背中を押せる楽曲にしようと毎回思っていました。そこは自分で意識的に考えましたね。(これらの曲を)作っている間に(THE ALFEEも)30周年、40周年を迎えて…長いレースみたいなものだよね。自分たちにも歌って言い聞かせているという思いもあります。

■頑張っている人には「頑張れ」と言いたい
―聞く人たちに向けて…だけでなく、自分たちにも…だったのですね。
高見沢:『もう一度ここから始めよう』でも(歌詞の)「頑張ろうぜ」って自分に…ですからね。今、「頑張れ」と人に言ってはいけない傾向がちょっとあるじゃないですか。僕は頑張っている人には「頑張れ」と言いたい。そこは歌の力でどうにかなるか分からないけど、背中を押したいですね。なぜなら自分も頑張ってきたからね。いろんなものが一回ではできなかった。すぐにはヒットも出なかったし、(中学時代に部活動で熱中していた)バスケットボールのジャンプシュートも人の何倍も練習しましたからね。

■イメージが合えばバラードもマッチする
―中継ではランナーが走っている映像に合わせてイメージソングがかかりますが、走っているリズムがあるので、バラードは最初合うのかなと気になりました。実際に番組を観るととても良かったのですが…。
高見沢:やはり映像、生(なま)に勝るものはないですね。必死で走っている姿があれば、アップテンポであろうと、バラードであろうと、イメージが合いさえすればうまくいくだろうと感じていました。最初のバラードは(1994年の)『風を追いかけて』でしたね。そこでうまくいったので、その後は番組の方から「バラードでお願いできませんか」と依頼された年もありましたよ。

THE ALFEE 坂崎幸之助

■31年続いたのはギネス級
―31年前はこんなに長く続くと思いましたか?
高見沢:思ってないよ! ひとつの番組でひとつのアーティストが30年以上イメージソングを続けるのは世界でも例がないみたいですよ。僕ら45年やっているからね、それもおかしくないことなんだけど。

―31年前の1987年というと日本平(静岡県)でのオールナイトコンサートの年ですね。
高見沢:そうだ、そう考えると長いよね。ライブをやり続けているからこそ、マラソンランナーと同じ気持ちになれるのかもね。45年間走っているから。ここはダメだとか良かったとかあるし、浮き沈みはもちろんあるし、でも40周年からすごく上り坂になってきているし。

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