エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】工藤静香、子ども時代は“アイドル”に憧れず 歌しかないと思ったのは『すべてはそれから』の頃

ある時、おニャン子クラブのコンサートのリハーサルで話を聞かずにメンバーがおしゃべりしていると男性プロデューサーが「ちゃんと聞け」と灰皿を投げてきた。皆が「きゃーっ」と逃げるなか工藤だけは逃げなかった。「だって、当たらなかったから」と常に冷静なのだ。プロデューサーたちはそんな彼女の態度が気に入らず「工藤ちょっと来い!」とまた怒られる。仕事では周りの大人たちから「お前は可愛くないな」とよく言われ、彼女も「自分は周りの大人が気に食わなくなるキャラクターなんだな」と感じていた。

やがて1987年8月にシングル『禁断のテレパシー』でソロデビューする。その時は「カッコいい歌だな! この歌を私がひとりで歌えるの!」という喜びが強かったが、それでもまだ「歌でやっていくのだ」との思いには至らなかった。しかし、同曲も収録されている1stアルバム『ミステリアス』(1988年)のレコーディングで『すべてはそれから』を歌いながら「こんなに疲れてくたくたなのに集中できるんだ」と気づいた。当時はまだおニャン子クラブやユニット・うしろ髪ひかれ隊の活動も忙しかったが、「それでも集中できる仕事は歌だ」と初めて思えたのである。

『禁断のテレパシー』から30年、彼女が歌手であり続け8月30日には12年ぶりとなるオリジナルアルバム『凛』をリリースできたのは、その時の気づきがあればこそかもしれない。

画像は『Kudo_shizuka 2017年7月20日付Instagram「いきなりマネージャーが他の資料を探していて、このモノクロが出てきたらしい。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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