エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】KinKi Kids『硝子の少年』は松本隆にも“転機”だった ジャニーさんの注文は「ミリオンね」

2月23日に放送されたNHK Eテレ『ミュージック・ポートレイト 松本隆×斉藤由貴 第2夜』のなかで松本隆が「1990年くらいに一回クローズしたんだよね」と当時を振り返った。作詞家として松田聖子の楽曲や寺尾聰『ルビーの指輪』など数々のヒット曲を生んだ彼だが、その陰では「1位が当然」と見られるプレッシャーに苦しみ「次の曲が売れなかったらどうしよう」と悩んでいた。やがてバンドやシンガーソングライターが活躍して自ら詞を書くようになり、作詞家は不遇の時代を迎える。松本隆も1990年頃には「表舞台から身を引き、自分を見つめ直そう」と決意するのだった。

芸能界から距離を置いて能やバレエ、オペラなどを見て学んだ彼はシューベルトの連作歌曲集『冬の旅』にある『辻音楽師 Der Leiermann』に共感を覚え日本語詞をつける。楽曲の世界観から「不遇の時も出来ることを続けよう。自分ができることをただひたすら続けよう」と励まされたという。そうやっておよそ7年を過ごした頃にジャニーズ事務所から大きなオファーがあった。すでに活躍していたKinKi Kidsが満を持してCDデビューするので、その楽曲を書いて欲しいというものだ。

松本はジャニー喜多川社長から「この子たちは人気があるからミリオンね」とだけ注文を受けたという。内容は好きに書いて良いというが“最低でもミリオン”のハードルは高い。しかも7年もの間一線を退いた松本は「まだ売れるのかな僕?」と自信がなく不安に駆られた。彼は詞を書く対象の歌手から直感的に特徴を読み取ることができ、KinKi Kidsの2人が放つ「輝きや独特な危うさ」をどのように表現するか考え抜いた。ところが、書き直しても書き直してもなかなかOKが出ない。

ある日、悩みながらリビングでテレビに目をやると偶然にもKinKi Kidsが出演していた。「あ、ガラスの少年だ!」と直感した松本は、今までの悩みが嘘のように「この子達、ガラスの少年じゃないか!」と目の前が晴れたのである。さらに兼ねてより「バスでは別れなどドラマがあるはずで、バスにまつわる歌を書きたい」と思っていたことから「物語が滝のように溢れてあっという間にできた」という。

そうやって誕生した『硝子の少年』は200万枚の大ヒットとなり、『ルビーの指輪』の160万枚を抜いて松本隆にとって新記録となった。KinKi Kidsの2人は今でもデビュー曲『硝子の少年』を「ターニングソング」「大切な曲」だと常々話しており、昨年初出場した「NHK紅白」でも歌唱している。彼らにとってそれほど思い入れのある楽曲だが、実は松本隆にとって或いはそれ以上に大きな1曲なのだ。

このたび、松本隆が音楽プロデューサー・つんく♂と初めてタッグを組んで歌手・クミコの新曲(4月リリース予定)を手掛けることとなった。2月26日に『松本隆 takashi_mtmt Instagram』で哀愁のあるバラードをレコーディングして「つんく氏と初コラボだと、アイドル系を連想するかもしれないが、10人聴いたら8人泣きそうな曲ができた」と明かしている。どのような歌になるのか楽しみであり、『硝子の少年』があってこそのコラボだと考えると感慨深い。

出典:https://www.instagram.com/takashi_mtmt
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

クミコの新曲をレコーディングする松本隆とつんく♂(出典:https://www.instagram.com/takashi_mtmt)

1 2