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writer : maki

【エンタがビタミン♪】吉田拓郎の『報ステ』出演に東国原氏が感慨「元気で良かった!!」

吉田拓郎が久々にテレビ出演して、若き頃の“テレビに出ない宣言”について真相を語った。そんな彼の姿を見て当時を懐かしんだ視聴者も多いのではないだろうか。その1人、東国原英夫氏はツイッターで「いいね~! 拓郎!」と感慨をつぶやいている。

吉田拓郎と古舘伊知郎キャスターの対談が2月11日の『報道ステーション』(テレビ朝日系)で放送された。収録スタジオに姿を現した吉田拓郎は、古舘キャスターと対面してイスに座ると「テレビは久しぶりだから緊張する」「ずいぶん、いろいろシャットアウト気味だった」と語り出す。その後ろでは番組スタッフの「本番5秒前、4、3、2…」という指示が響いていた。

放送では対談とともに、BGMで『イメージの詩』や『今日までそして明日から』などが流れ、1975年8月に行われたオールナイトライブ『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』の観客で溢れる会場も短時間ながら映った。青春時代に彼から大きな影響を受けたという古舘キャスターの意見も反映されたのだろう。

古舘キャスターが「テレビに出ないと宣言したのは衝撃だった」と話を向けたところ、吉田拓郎から意外な事実が明かされる。NHKのオーディションでは「ブーと不合格になって帰らされた」という。民放番組では『マークII』をギターで弾き語ったが、ハーフコーラス(1コーラスとサビ)だと知らずにフルコーラスのつもりで歌っていたら進行がわからなくなり、司会者から「バカ野郎!」と叱られて「もう、泣こうかなと思った」。そんな経験からテレビ局に嫌な印象を持ったそうだ。

また、作詞家の安井かずみさん(1994年3月17日没)から「芸能界はもっとチャーミングな世界なの! ジュリーを見て!」とフォークの進出を指摘されたエピソードに絡め、当時を“フォークソング側”とジュリー(沢田研二)をはじめとする“芸能界側”にたとえた。「今日、断言します。僕はこっち(フォーク)側にいるべきじゃなかった。沢田研二を追いかけておけば良かったとつくづく思う」と明かして古舘キャスターを唖然とさせる。

吉田拓郎は1974年に森進一がレコード大賞を受賞した『襟裳岬』の曲を提供している。彼が自ら歌ったデモテープでは「キャロル・キング風のアレンジにして渡した」が、仕上がって戻ってきた歌を聴くと「最初にトランペットの音がプァ~と鳴った瞬間、びっくりして倒れちゃった」と明かす。それによって演歌とはこういうものかと学び、以降は森進一の『襟裳岬』を聴いて「これしかないんだな」と納得できるようになったという。

その『襟裳岬』をはじめ作詞家の岡本おさみさん(2015年11月30日没)と組んだ作品も多い。アルバム『元気です。』(1972年)に収録された『祭りのあと』も岡本さんとのコンビによる。対談も終わりに近づいた頃、吉田拓郎は同曲について「“死んだ男にくれてやろう”なんて、最近、怖さが分かるようになった。若い頃には分からずに歌ってた…」と語る。自分を含めて当時の日本のフォークソングは歌の内容が老成していたと振り返り、「20歳ちょっとの男が、“祭りの後の~”なんて歌うべきじゃなかった。御免!」とテレビを通して頭を下げた。

憧れの吉田拓郎と対談できた古舘キャスターだが、喜びの一方で思いもよらぬ告白にショックを受けたようだ。そんな2人のやりとりをテレビで見ていた東国原氏は『東国原英夫(higashi_kokuba)ツイッター』で「えっ?! 拓郎さん、元気なんだ~!? 先ずは、元気で良かった!!」「いいね~! 拓郎!」と和みながら『今日までそして明日から』や『ペニーレインでバーボン』を思い出していた。50代、60代の視聴者は青春時代が甦った人も多かったのではないだろうか。

吉田拓郎は2012年6月にオリジナルアルバム『午後の天気』、2014年6月にセルフカバーアルバム『AGAIN』を出しているが、古舘キャスターから「今年はコンサートをやるし、アルバムを出すかもしれない」という言葉も聞かれた。ライブツアーについては「1泊までの範囲で考えている」と本人が乗り気なので、アルバムも期待できそうだ。

出典:https://www.youtube.com
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)