エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】黒柳徹子が大物俳優から口説かれていた過去を明かす。「ねえ、1回どう?」

黒柳徹子がタレント・中山秀征との対談でテレビ草創期の貴重なエピソードを語った。まだ、ドラマが生放送だった当時は番組関係者が一致団結しないとやっていけない状況で、スターも何も関係なかったという。当時、20代前半だった黒柳も先輩俳優にセリフを教えたりして活躍した。そんな関係の中で口説かれることもあったようだ。

トーク番組『徹子の部屋』を50年続けたいという黒柳徹子。その頃彼女は93歳となるが、今の元気な姿を見る限り実現してくれそうだ。3月9日の情報番組『シューイチ』ではテレビ放送史を代表する芸能人とされる黒柳徹子とバブルタレントの中山秀征による対談が放送された。

黒柳徹子は1953年にNHKにテレビ女優第一号として入局して、テレビ草創期を体験してきた。「当時は全国でテレビが866台しかなかったんだから」と今とは全く違う環境を振り返った。彼女の家にもテレビは無かったという。国民の多くが街頭テレビでプロレスを観戦した時代だ。

ドラマも生放送で、今のものより何倍も大きなテレビカメラを使った。ズーム機能などついていないので役者にカメラが近づいてアップを撮ることになる。別のカットを撮るには役者がテレビ画面に映らないようにカメラを避けて四つん這いになって別の立ち位置に移動して撮影する。

黒柳は「スイッチャーの人が間違えるとテレビに私が四つん這いになっているところが映って『何やってるんだ?』となっちゃう」と体験を明かして笑ったが、そんな苦労をしてドラマが成り立っていたのだ。

生放送なので、出演者の調子やスタッフの段取りなどによって「もうこれ以上は無理」ということもある。黒柳徹子もディレクターと相談して「もう、どうにも無理だと“終わり”のフリップを出した」ことが一度ではない。それでドラマが突然終わっても、「誰も責任を追及されない。『どうしたんだ?』とはならない」そんな時代だった。

そうした環境でドラマを放送するには関係者が一致団結しないとやっていけない。「俳優もスタッフも和気あいあいだった」「スターがどうしたなんて関係なかった」と彼女は当時を振り返る。

2009年11月10日に満96歳で亡くなった森繁久彌さんともよく共演した。森繁さんはその頃で40歳くらいだろうか。黒柳は「森繁さんなんかね、『俺のセリフは何だっけ?』と聞いてくるから、私がこれこれこうですよと教えてあげたの」と懐かしそうに語った。

彼女は「そういう時に、ちょっと暗がりに入ると森繁さんが、『ねえ、1回どう?』って…」と口説かれたことをカミングアウトして中山秀征を笑わせた。「終生、亡くなるまでおっしゃってましたけどね」というから森繁さんは和ます意味でそんな言葉をかけていたのかもしれない。

テレビ番組で黒柳徹子の20代~30代頃の写真が公開されることがあるが、森繁さんでなくとも口説いてみようかという気になるほど魅力的だ。だが、「お見合いしたり恋愛したこともある」という彼女は結婚よりも仕事を選んできた。

先輩女優の沢村貞子さん(1996年8月16日・満87歳没)から「やはり、顔は40歳くらいから自分で作らないといけない」と聞かされた黒柳は「良かった、40歳から努力しよう」と一念発起した。その時に「元気でいることが大切」と思いついたそうだ。

現在、80歳となる彼女が、昨年来日したミュージシャンのポール・マッカートニーを見て感動したという。「71歳で、3時間、水も飲まず休みもせず歌い続ける。日本語で明るく話しかけて素晴らしかった」と彼のステージを思い出しながら「長生きする者の務め」を語る。

黒柳徹子は「長生きする者は『元気で、明るく、優しく』ありたい」と考えてきた。彼女が『徹子の部屋』をはじめとするテレビ番組だけでなく舞台も続けることができるのはその務めを果たそうとしているからなのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)