エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】潮田玲子がオグシオ時代の“ゾーン体験”を振り返る。「競技人生で一回しかなかった」

元バドミントン選手の潮田玲子がテレビ番組で、現役中に小椋久美子選手と組んだペア“オグシオ”時代を語った。そのオグシオがペア解消を発表して最後の試合となった全日本総合選手権の決勝で、彼女が“ゾーン”を体験したことが当時話題となった。それから5年が過ぎて、試合を冷静に振り返った潮田玲子が“ゾーン”とはどのような状態になるのかを詳細に表現している。

福岡県京都郡出身の潮田玲子は博多よりも北九州市に近い環境で育った。彼女が子ども時代に通ったバドミントンの名門・京都クラブ(みやこクラブ)で頭角を現し、全国中学生大会女子シングルスで優勝。スポーツ推薦で進学した九州国際大学付属高等学校も北九州市にある。

2014年2月2日に放送された福岡の番組『ナイトシャッフル』(FBS福岡放送)ではその潮田玲子をゲストに迎えて、北九州出身のものまねタレント・原口あきまさと番組メインMCの山本華世が都内を散策した。東京での暮らしも長い潮田はなかなか方言を話すこともないが、原口から北九州弁で話しかけられて懐かしそうに使っていた。

彼女が通った京都クラブの後輩たちからVTRが届き「潮田さんは憧れの先輩」、「結婚してからすごくキレイになった」、「オーラが柔らかくなった」といったメッセージが伝えられると、「ありがとう」と笑顔で喜んだ。また、恩師・福本監督からも「忙しいだろうが、主婦業も頑張るように」と言葉をもらい「本当にありがたいです」と感激していた。同クラブには今でも、潮田世代が手作りした『DO YOUR BEST』と描かれた横断幕が掲げられている。

京都クラブ時代に“天才バドミントン少女”と注目された彼女は、やがて実業団に入り小椋久美子選手とペアを組む。“オグシオ”の結成だ。

オグシオとして7年間一緒に行動したことについて潮田は「遠征では部屋もいつも一緒で、いいときはいいが、結果が出ないときにお互いぶつけられない気持ちもありだんだん苦しくなる」と葛藤したことを明かす。

アテネ五輪への出場権は逃したオグシオだが、苦労の末、次の北京五輪では代表選手に選ばれる。結果は準々決勝で、優勝した中国ペアにストレートで敗れてベスト8入りした。

潮田は「北京五輪に出られたことに喜びはあるが、メダルはとれずにみんなの期待に応えられなかった。それこそ死ぬ気で練習したけど、結局、簡単に負けてしまった。こんなに努力してもかなわない人はいるんだと思った」と振り返る。

さらに「日本中の期待を背負ってコートに立てる人間じゃないと感じた。このときが一番苦しかった」と明かしており、この時の悔しい思いが五輪後にオグシオがペア解消を発表したことに大きく影響しているようだ。

そのオグシオがペアを解消する前に最後の試合となった全日本総合選手権の決勝で対戦したのが北京五輪で4位に入賞したスエマエ(末綱聡子と前田美順のペア)だった。

強敵スエマエのペースで進む苦しい展開となったが、その時、潮田玲子は奇跡の体験をするのだ。「私はそれを“ゾーン”と呼んでいます」と彼女はその時の状況を詳細に明かした。

「だんだん、相手やシャトルの動きがゆっくりに見えてきた。決勝で代々木体育館は満員だったが、静寂に包まれた感じで、会場の歓声も聞こえない状態になった。スローモーションに見えるようになると、15点から連続得点して一気に逆転勝ちした」。決勝点は潮田が打って決めると「そしたら、はじめてウワーって会場の歓声が聞こえた」という。

「最後に私たちらしい試合をしようと立ったコートだった。自分たちにとってすごく意味のあるものだと思う」と彼女はその試合の大切さを語っており、それだからこそ“ゾーン”が起きたのではないか。

“ゾーン”とはアスリートが極度の集中状態にあり、他の思考や感情を忘れてしまうほど、競技に没頭しているような状態をいう。野球の打者がボールの縫い目が分かるほどゆっくり見えることがあるというのもそれだろう。

ソチ五輪がいよいよ現地時間2月7日に開幕するが、日本選手たちにもゾーンを体験するような胸のすく活躍を期待したい。

※画像は『潮田玲子 reikoshiota Instagram』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)