エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】ポルノグラフィティが「一発屋」の苦悩乗り越え、芸能界を実感した日。

今年でメジャーデビュー15周年となるロックバンド、ポルノグラフィティ。広島県因島市(現・尾道市)から上京して1stシングル『アポロ』でメジャーデビューを果たした彼らだが、「一発屋」と呼ばれて苦悩したこともあるという。そんな彼らがリアルに「芸能界を実感した」のはいつだったのか。デビュー曲『アポロ』に秘められた別格の思いとは。

11月21日に生放送された『ベストヒット歌謡祭2013』(読売テレビ・日本テレビ系)でノリノリのパフォーマンスを披露したポルノグラフィティの岡野昭仁(39)と新藤晴一(39)。この日、本番前に『情報ライブ ミヤネ屋』で会場の大阪城ホールから出演し「上京した頃は大阪城ホールでやるのが夢だった」と感慨深げに語った。彼らが地元の因島から出て来てインディーズ時代に活動していたのが大阪だった。十三(じゅうそう)と京橋に住んでいたという。

そんな2人が20日の『ZIP!』に出演してポルノ15周年秘話を語っていた。1999年9月8日に『アポロ』でメジャーデビューしたポルノグラフィティは、その後も『サウダージ』や『アゲハ蝶』などヒット曲を連発するが、彼ら自身が「芸能界を実感」したのは意外にももう少し後のことになる。

ギターの新藤晴一いわく「高校時代に“3M”と呼ばれて人気のあった女性芸能人が“観月ありさ”さん、“宮沢りえ”さん、“牧瀬里穂”さんだった」という。

2004年に出した16枚目のシングル『黄昏ロマンス』は岸谷五朗主演のドラマ『一番大切な人は誰ですか?』の主題歌に起用された。ドラマの打ち上げには2人も呼ばれて『黄昏ロマンス』を歌わせてもらったのだ。

「そこに“3M”のうち宮沢りえさんと牧瀬里穂さんがいたんですよ! それには大興奮でした!」と新藤は興奮気味に当時を振り返った。岡野昭仁も目を輝かせて共感しており、2人にとってそれが芸能界を実感した瞬間だったのだ。

それから時が経ち15周年を迎えたポルノグラフィティは200曲以上もの楽曲を世に送り出してきた。岡野昭仁は「正直、憶えていない曲もあります」という。タイトルは思い出せても曲が流れると1フレーズも歌えないこともあるらしい。彼は「サビさえも歌えない曲もあると思う」と明かしている。

数ある楽曲の中で彼らが「ターニングポイントになる1曲」として選んだのは『アポロ』だった。デビュー曲ながら40万枚以上を売り上げる大ヒットとなった一方でポルノグラフィティは「一発屋」と呼ばれた。

岡野はその頃を振り返り「『もう、これで終わってもいいや』くらいの潔さでいろいろなことをやっている。今思えば、そんな腹のくくり方は自分達でもカッコイイものだった」と語る。もちろん『アポロ』だけで終わってしまうのではという恐怖感もあったが、それを乗り越えるには腹をくくるしかなかったのだ。

「『アポロ』はヒット曲だ。ヒット曲は人とつながるということ」という新藤は「今までの活動はヒット曲で人とつながったことで、違った世界を見せてもらったし、自分達に変化をもたらせてくれた」と改めて『アポロ』の存在が大きかったことを感じていた。

岡野もまた「『アポロ』がうまくいったからこそ、今の15年があるといっても過言ではない」と語った。彼らが今でもよく『アポロ』を演奏するのは、15年経っても人気のある楽曲であることはもちろんだが、そんな特別な思いを込めて届けているのだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)