エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】グレた娘をボコボコにした立川談志。困り果てて警察に駆け込んだことも。

2011年11月に亡くなった伝説の落語家・立川談志の長女である松岡ゆみこ(49)。現在は銀座でクラブを経営しながら、芸能活動を行っている。幼少時代は過保護とも思えるほどの愛情を、娘に注いでいたという談志。だが思春期に入った松岡は学校に行かなくなり、夜の街で遊ぶようになる。自分の言うことを聞かなくなった娘に対し、談志はどのような行動をとったのだろうか。

5月28日放送の『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)は、ママタレントからのお悩み相談であった。「どうしても過保護になってしまう」という出演者の悩みに対して、松岡ゆみこは父親・立川談志との思い出を語り出した。

新宿という大都会で育った娘に、談志は自転車を買い与えなかったそうだ。交通事故にあうことを心配してのことだったという。このような過保護な面がある一方で、娘がどこの小学校に通っているのかも知らず、成績にも無関心。 挙げ句の果てには自分の子どもの年齢もうろ覚えだったというから、ちょっと変わった父親だったようである。

その大切に育てていた愛娘が15歳になると突然学校に行かなくなり、毎晩のごとく街に出かけるようになってしまう。当時、流行していたディスコに入り浸っていたのだ。ある日、談志は親の言うことを全く聞かなくなった娘をディスコから連れ出し、新宿警察の少年課を訪れた。「この子なんとかしてください」とお願いに行ったのである。警察側もさすがにどん引きしていたようだが、談志の必死な様子に応えてくれたのだろうか。松岡によると取調室みたいなところへ連れて行かれて、警察から説教をされたようだ。

それでも生活を改めなかった娘に対し、とうとう談志は堪忍袋の緒が切れてしまった。これまで一度も手をあげたことがなかったが、ボコボコに殴ったのだ。常々「子どもは叩くもんじゃない」と話していたという談志。まさか自分が我が子に手を上げることとなるとは…。どんなに辛く悲しい心境だったことだろうか。

松岡は「グレた理由が親のどこにあったのかは、未だに分からない」と話す。思い当たることといえば、親というよりも好きな男の子ができて本当の恋愛を経験したのがきっかけだったようだ。

談志が亡くなってから、「父親から愛されていたことを確信した」と語る松岡。40年以上の父娘の歴史を振り返った彼女は、「“本当に困った時に助けてくれるのが良い親”だと思う」と断言する。番組で松岡は、27歳の時に子宮がんで子どもが産めない人生になったことも明かした。きっとこの時も談志は、そっと娘に寄り添っていたことだろう。
(TechinsightJapan編集部 みやび)