エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】「話し相手は壁だった」。BoAが孤独だった日本でのデビュー秘話明かす。

歌手のBoAは13歳で日本進出の為に来日した。K-POPの呼び名も定着していない頃の日本でヒット曲を立て続けに出して人気者となった彼女だが、デビューして数年は苦悩してひとりで涙することもあったという。

韓国だけでなく米国や日本でも人気があるBoAはデビュー12周年を迎えた。2月27日の『1番ソングSHOW』では、彼女が日本で成功するまでの人知れぬ苦労が明かされたのだ。

オーディションを受ける兄について行ったことがきっかけでスカウトされたBoAは、韓国で海外進出を目指して歌やダンスの厳しいレッスンを受けた。やがて13歳という若さで単身来日するが、日本語もまだあまり話せない彼女の相手は通訳の韓国女性だけだった。鳴り物入りでデビューしたものの、3枚出したシングルはどれもチャートの20位あたりまでしか伸びなかった。事務所関係者からの「次は期待しているよ」の言葉は、その頃14歳だった彼女に大きなプレッシャーとなったのである。

日本語も良く分からない上に、本音を話す相手もなく悩みも相談できない彼女は、部屋でひとり「韓国の友だちに会いたいよ」と壁に話しかけて涙をこぼすこともあったのだ。

その頃、BoAは中学校に通えなかった為に高校検定試験の受験準備をしており、2001年の12月には「こんなに暇だったら韓国に帰ります」と一旦帰国してしまう。だが、年が明けて1月17日にリリースした4枚目のシングル「LISTEN TO MY HEART」がヒット。彼女は急遽日本に呼び戻されて音楽フェスティバルなどで活躍すると、8月に出したシングル「VALENTI」が大ヒットした。その年の紅白歌合戦に念願の初出場を果たして、同曲を披露したのである。

BoAが“壁に語りかけて涙した”苦悩の日々を乗り越えるきっかけとなったのが、宇多田ヒカルのデビューシングル「Automatic/time will tell」の「time will tell」だった。その歌詞から「悩んだって仕方ない」と気づいたBoAは、「私が頑張ろうとしてもそれはストレスになるだけ。できることを頑張ってそれが積み重なれば、自分が喜べる何かが起きるんじゃないか」と開き直ることができたという。「time will tell」を出した時の宇多田ヒカルは15歳だった。ほぼ同年代で一躍人気歌手となった彼女の歌を聴いたBoAは、『彼女もきっと自分と同じような苦労を乗り越えたはず…』と想像したのではないだろうか。

日本で初めて出演したテレビ番組が『HEY!HEY!HEY!』(昨年12月17日で終了)だったBoAは、ダウンタウンの2人が関西弁でまくしたてるので「話していることが分からなかった」と当時を振り返る。「なんで私は頭を殴られるのだろう?」と浜田雅功からシバかれて疑問に感じていたらしい。

その後、同番組に何度も出演した彼女は関西弁にも慣れていく。やがてK-POPブームとなり後輩たちが出演する際には「浜田さんが叩くのは愛情表現だから」、「叩かれると人気が出るらしいよ」などのアドバイスをする余裕も出てきたのだ。

デビュー12周年を迎えたBoAは、2月27日にリリースしたシングル「Only One」で1年2か月ぶりに日本でカムバックした。BoAの姿をメディアで見かけることが増えたが、トークでも日本のタレントに負けていない。パフォーマンスだけでなくバラエティでも楽しませてくれそうだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)