エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】「相撲部屋に入っていたかも」。吉井和哉の意外な過去が明らかに。

ミュージシャンの吉井和哉がテレビ番組『A-Studio』に出演した際に、MCの笑福亭鶴瓶によって彼の意外な経歴が明かされた。バンド時代に彼がグラムロック風のメイクを施した真相など興味深い話が飛び出したが、中でも母親から相撲部屋に入れられそうになったエピソードは驚きだ。

ロックバンド・THE YELLOW MONKEY(通称、イエモン)で活躍した吉井和哉は、解散後にソロ活動を始めた。彼はその時の音楽的なスタンスを「バンドとは違うことがやりたかったので、曲調も違いましたね」と話している。1月18日に放送された『A-Studio』では、初対面というMCの笑福亭鶴瓶を相手に意外な過去を語ってくれた。

東京生まれで静岡育ちである吉井は旅芸人の父から可愛がられ、まだ小さな彼を“下町の玉三郎”梅沢富美男が抱っこしてくれたこともあるそうだ。父親は彼が5歳の時に他界したが、「イエモンで化粧をしていたのはその頃の影響だと思う」と彼は振り返る。

父親が亡くなってからは、母親の姉妹がいる静岡で暮らした。今では精悍な風貌の吉井も小学生時代は太っていたという。ある日、彼が寝ていると隣の部屋で母とおばさん(母の姉)が話しているのが聞こえてきた。「あの子は勉強もできないし取り柄もないから、相撲部屋に入れようと思うんだけど」と母が話していたのだ。

彼は今も「九九は五の段までしか言えない」というから、学校の成績は振るわなかったらしい。母の話が聞こえた時は吉井も「まずい」と焦ったが、その後相撲部屋の件はうやむやになったようだ。彼が中学を卒業すると喫茶店でアルバイトを始めたのは、そんな出来事が頭にあったからかもしれない。

その頃はまだミュージシャンではなく漠然と役者になりたかった彼は、バイトの先輩に「東京で夢をつかもう」と誘われて上京する。すすめられるままに俳優・丹波哲郎の“丹波道場”を訪れたが、日曜日で休みだった。もしこの時に“丹波道場”に入っていたら、俳優の道を歩んだ可能性もあるのだ。

彼は20歳くらいの頃にTBSの期間社員として働いていたという。「テープの管理とかをやっていたけど、サボっているのを上司から怒られて5か月で辞めた」と明かす。その頃はすでにバンド活動を始めていたが、まだイエモン結成前のことだ。

バンド経験を経て、やがて吉井和哉は1988年にロックバンドTHE YELLOW MONKEYを結成するのだ。旅芸人から相撲取り、そして俳優にTBSの社員と彼には何度か人生の転機があったが、運命はロックミュージシャンの道を与えたのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)