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writer : maki

【エンタがビタミン♪】「事務所がなくなり悩んだ」。中川翔子が『王様のブランチ』時代の実情明かす。

マルチタレントとして活躍する中川翔子は、7年前にテレビ番組『王様のブランチ』で初のレギュラー出演を果たしている。アップルパイを作りながら当時の番組でお菓子作りをしていたことを思い出した彼女が、その頃の苦労をブログで明かした。

中川翔子は、幼少時から『地球戦隊ファイブマン』に出演するなど早くから業界と関わっていた。16歳でポポロガールオーディションのグランプリを受賞した彼女は芸能界デビューを果たし、ジャッキー・チェン事務所に所属している。

その翌年には『ミス週刊少年マガジン2002』に選ばれて注目を浴びるが、事務所はワタナベエンターテインメントに移籍する。その後、戦隊モノへの出演やバラエティ番組の仕事をしていた彼女は、2005年に『王様のブランチ』のレギュラーに抜擢されたことで知名度が上がるのだ。

12月3日の『中川翔子オフィシャルブログ』では、その『王様のブランチ』に出演していた頃の思い出が綴られている。“ブランチスウィートクッキング”のコーナーでは「国立のお菓子学校でお菓子作りを習う」という企画を、ミスマガジンの3人が毎週交代で務めた。

彼女は「ちょうどジャッキー事務所がなくなり、ぐるぐるな環境だったので、ひとりで通いながらいろいろ悩みながらのなかでの唯一幸せな時間でした」とそれから7年を経た今、アップルパイを焼きながら振り返る。

さらに「竹内(香苗)アナにすばらしく優しくしていただけたこと、一生忘れないです」と感謝すると、「本当に、いろいろあった時期つらかった。ミスマガジンは本当にすてきな思い出だなぁ。自分を否定して傷つけてばかりだったのが、初めて生き生きした…」と当時の苦悩を明かしている。

中川翔子は16歳の誕生日を記念して、母親と憧れのジャッキー・チェンが経営する香港のレストランを訪れたことがある。その時にジャッキー本人を目にして号泣したという。震えてしまい声もかけられずにいると、ジャッキーの方から日本語で話しかけられサインまでしてくれたのだ。その時の感謝からジャッキー・チェン事務所の日本支部へ所属することとなった。

香港を拠点とする事務所だけに、日本での運営は難しかったのだろう。「ジャッキー事務所がなくなり、ぐるぐるな環境だった」と彼女も触れているが、事務所を移籍してもジャッキー・チェンを敬愛する気持ちは今でも変わらない。

次の事務所となったワタナベエンターテインメントについては、所属する青木さやかが「自分ひとりで現場に行かなければならなかった」と話したことがあり、売れると現場にマネージャーがついてくるようになったという。中川翔子が移籍した当初もそうした状況で、『王様のブランチ』へもひとりで通ったのである。

今年は中川翔子がミスマガジンとなって実質的に芸能界デビューしてから10年目となる。彼女はそんな10年間を思いながら「ギザ10をむかえられてよかった、だからがんばろう」と決意を新たにしていた。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)