writer : tinsight-yokote2

【巨大地震・盛岡から】その2 携帯電話はどれほど使えたのか。

まずは、3月11日14時46分に発生した「東北太平洋沖大地震」で被災された方々へ、心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げます。記者はこの度の地震を盛岡で経験しました。沿岸部からはかなり内陸に位置する盛岡ですが、こちらの状況をお伝えするとともに、ご一緒に考えて頂きたいことなどを、ひとつずつ記事にして参りたいと思います。

その1では内陸部の都市・盛岡でありながら、いよいよ食料品、日用品、ガソリン、灯油の調達が難しくなっていることをお伝えしましたが、こちらでは携帯電話がどれほど機能したのか、それについて触れてみます。

11日14時46分に地震が発生し、1分ほど家具や照明器具を押さえながら揺れに耐えていたところ、東京の家族からauの携帯にCメールが14時48分に入りました。なんと速い!「私は大丈夫。安心して」と言いたくてすぐに電話をかけましたが、「災害発生のためご利用できません」というメッセージが流れました。ではメールでと、簡素な文章を作成したのですが全く送信できず、Eメールに切り替えてもダメ、PCもインターネット通信が絶たれてダメ、本当に心配をかけてしまいました。

各方面の家族らと連絡を取り合おうと努力しているうちに、バッテリーはどんどん消耗して行き、充電器はあっても激しい地震で瞬時に停電となったため利用はできず、auショップも徒歩では行けない距離。車を出そうにも信号がストップして車の流れがパニック化しており、ショップも停電では機能していないと勝手ながら判断し、自宅にいることにしました。

その後、夫の電池式ラジオで情報を次々と得た上、「災害用伝言ダイヤル」という方法があることを知りましたが、止まぬ余震で手が震え、いくつもの番号を正確に打つことができず仕舞い。それを諦め、公衆電話が利用できるというので、電線が揺れる中コンビニまで行き、長蛇の列に並びました。

ところで夫も当日の夜、バッテリー表示をたった1目盛だけ残して仕事から帰宅しました。送受信や通話に困難を極める状況は同じでしたが、ドコモ、ソフトバンクにくらべauを使用していた夫が2度も通話に成功し、職場の周りの方にも貸してあげたそうです。これは皆さんもauをという宣伝ではありません。中継基地も停電でやられたことが原因といった情報をラジオで聞きましたが、各社とも、これ以上無理というくらいしっかりとした対策を立てておいて頂きたかったということに尽きます。

そして12日午後4時頃、携帯が鳴り9件のメールを「受信センター」にお預かりしているというのです。さっそくその受信を試みたのですが、何度やってもダメ。40分かかってようやく届きましたが、皆さんがメールを下さった時刻からほぼ24時間が経過していたということになります。

ところで、止まない余震に12日に記者の心拍数や血圧は変化を見せ、13日には上唇や頬がピクピクとケイレンするようになりました。知らぬ間に手は強い握りこぶしを作っており、自分にも強いストレスが振りかぶっていることを実感します。でも記者などはまだ幸せな状況、沿岸の皆さんの恐怖、不安、心配、悲しみはいくばくかと思うと改めて胸が痛みます。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)