エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】「太田光の才能を埋もれさせない」。爆問のドン底を救った妻・光代の信念。

ご存じの方も多いだろう。爆笑問題の所属事務所社長であり、太田光の妻である太田光代。彼女の酒癖の悪さが話題に上ることが多いが、個人事務所の社長として爆笑問題を復活させた手腕は相当なものである。11月23日の『女神のキセキ』(テレビ東京系)では、“戦略家”と呼ばれる社長としての顔の太田光代が紹介された。

「ちょろいなーとナメていたんです、私たち。」と太田光代。
1988年爆笑問題はデビュー後わずか1年でブレイク、彼らは有頂天になってしまったのだ。そして“自分たちの好きなようにやりたい。”と大手芸能事務所を勝手に辞め、移籍を目論んだ。しかし移籍が失敗した上、途端に仕事が全く無くなり、“爆笑問題は、終わったな。”とまで囁かれるようになる。経済的にも苦しくなり田中はコンビニでアルバイト、彼女はパチンコで生活費を稼いでいたという。しかし一向に、爆笑問題をマネージメントしてくれる事務所は現れなかった。

“このまま、夫(太田光)の才能を埋もれさせない!”と彼女は1993年に芸能事務所「タイタン」を設立、自ら社長となり爆笑問題の復活のため奔走する。
まず“来年の4月、レギュラー番組を持つ”を目標とし、彼女は戦略を立てる。その年の7月に爆笑問題、1回目の単独ライブの開催を決めた。お笑いのプロにネタさえ見てもらえれば、絶対に興味を持ってもらえる―と光代は熱心な営業活動をおこなう。時には土下座までして、ライブになんとか足を運んでもらったのだ。そして翌年1月に、2回目の単独ライブを開催する。7月のライブを見て爆笑問題の実力を認めた人たちが、TV局で新番組のキャスティング決定権を持つ人間を連れて2回目のライブにやって来たのだ。そして爆笑問題はこの年の4月、4本の新番組のレギュラーを獲得する。

爆問・田中によると、「仕事を決める際、僕らの判断は全く入らない。」という。全て社長に決定権がある。彼が「イヤだなぁ。」と思う仕事に限って、評判が良かったり視聴率が高いらしい。太田光代は“爆笑問題の命綱”と、田中は話を締めくくった。彼女がいなければ、爆笑問題は消えていたのかもしれないのだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)