writer : techinsight

【3分でわかる】MW(ムウ)

 日本人なら知らない人はいないであろう手塚治虫氏の漫画「鉄腕アトム」のCG映画が今日公開された。手塚作品といえば今年の夏に「MW(ムウ)」が実写映画化されたばかりである。映画の評価もひとしきり出そろったところに、あえて原作漫画を紹介しよう。

 悪夢にうなされる神父「賀来巌」。彼を苦しめるのは「結城美知夫」、罪を犯しては形だけの懺悔をくり返す、賀来にとってまさにメフィストフェレスのような存在である。しかし賀来は結城から逃れられない。そこには男同士でありながら体の関係を持ってしまっている以上の理由があった。

 ふたりが出会ったのは遡ること15年前。賀来が非行少年集団「カラス」の一員として暴虐を尽くしていた島の漁村に、当時少年だった結城が現れた。2人がカラスのアジトで一夜を過ごし、村に出ると目を覆うような光景広がっている。島中の鳥や家畜、人間までもがすべて息絶えていたのだ。

 原因は外国の軍事貯蔵庫に隠されていた極秘ガス兵器「MW」。賀来の仲間がそうとは知らず貯蔵庫の中身を盗み出そうとしたため、ガスが島中に充満したのだ。事件は闇に葬られたものの、賀来の心に晴れることのない闇を植えつけた。そして結城はモラルを持たないまま成長し、犯罪をくりかえすようになってしまっていた。

 結城はわかりやすいほどの悪である。罪を償わせようとする賀来を殺人者に仕立て上げ、一蓮托生を強要。あげく賀来がひそかに思っていた女性の体を汚し、心まで支配する。変装と知略、男女問わず虜にする性的魅力を使いひたすらに悪行の限りを尽くす結城。その果てに一体なにを求めているのか。

 個人的には悪とはいえ目的を持って進む結城より、どっちつかずの賀来の方が恐ろしく感じた。賀来は幾度となく結城を改心させようとするのだが、そのたび肉体の誘惑により決意はもろくも崩れ去ってしまう。賀来は改めるべき当人から快楽を得、自己嫌悪を覚えながらも結城が真人間になることを願っているのだ。この賀来の揺らぎには人間が持つ弱さや醜さが凝縮されている。

 この作品の男色行為には、耽美さよりもおぞましさが先にたつ。それは手塚氏の画によるものではなく、賀来の心情に由来するものだ。漁村と結城に犯した過ち。償いのために神の道に進んだというのに悪夢から抜け出すことができない。賀来から発する得も知れぬ背徳感が作品を覆い尽くしている。

 ところで、現代の漫画に慣れてしまった私にとって手塚氏のタッチは非常に新鮮である。馴染みのない絵柄、コマ割り、台詞回しが作品のサスペンスを盛り上げる効果を果たし、作品にみるみる引き込まれてしまった。賛否両論あろうが、どこまでも深読みのできる結末は私のような漫画好きにはひどく心地よいものだ。

 これだけの作品を完成させておきながら、あとがきで手塚氏はこう述べている。『すべて描きたりないまま完結させてしまった』と。確かに、『政治悪を最高の悪徳』とするには若干弱くはあるが、しかしピカレスクドラマとしては傑作の部類に入ることは間違いない。願わくば、手塚氏が納得する形でのこの作品を読んでみたいものだ。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)